2010年6月30日水曜日

NHKは受信料下げてください

NHKには公共の電波として一定の役割があります。
ですので、みんなでお金を少しづつ出し合って支えるのは大事なことですし、中にはあまりNHKを見ないというひとがいても、同様に負担してもらういう考え方には合理性があると思います。
なるべく多くのひとで支え合い、一人ひとりの負担を少なくするほうがいいと思います。
ところで、NHKの公益性を維持しながら、さらに受信料の負担を低減させることはできないのでしょうか。

まず、放送内容を見直すことはできないでしょうか?

1 ほぼ一日中放送しているが、そんなに番組を作る必要があるのか?朝、昼、夕方、夜に2時間づつ、計8時間放送であとは砂の嵐でもいいのでは?残りの時間をテレビショッピング会社に売却して収益化するのもよい。
2 高コスト番組のみなおし オリンピック、サッカーワールドカップ、相撲など高額の放送権を要するものは民放に任せる。NHKは放送権の高騰の一因になっているとも思われます。
3 番組ひとつひとつにどの程度の公益性があるのか、いちいち精査しろ。
科学的な検証をしているのか、さまざまな考え方を合理的にバランスよく踏まえているか、他に取り上げるべきテーマはないのか?
4 NHKにCMはないと言われるが、番宣はCMそのもの。やめてください。NHKを考えるという討論番組もいらないでしょう。

現実的に考えて、いまの受信料収入が社会が許容するNHKのコストの上限だと思います。公平性の観点から徴収業務に力を入れるのは結構ですが、同時に単価を下げて収入はせいぜいトントンを目指すべきでしょう。
そうすれば、振込支払いが増えて経費削減にもつながります。
払っていないひとがいるからまだ増収の余地がある、と考えるのは間違っています。



2010年6月28日月曜日

孫社長の新30年ヴィジョン発表会に思う


CNETで紹介されていますソフトバンクのヴィジョン発表会の記事を読みました。
そこで孫社長がこんなことを言ったそうな。

「人間の体を通信の媒体とすれば、脳からコンピュータのチップに体を通じて通信するという時代が300年以内に必ず来る」


・・・実験室レベルでは脳通信はすでに実現されているので、普通にやれば30年以内になんらかの応用が商業ベースに乗っていると思います。スタートレックの電子義眼なんてすでに出来ているらしいしね。
これを300年先と夢想するとは、商売っ気がないなあ。私は30年ビジョンに盛り込むべきだったと思います。

ところで、脳に直接チップを埋め込む方式では、時間の経過とともに電極に膜?のようなものが出来て脳神経にアクセスできなくなるそうです。
そのため医療機器としてPC操作する脳デバイスを開発したものの、最終的に認可されなかったという企業が米国にあったそうです。
孫さんも示唆するように身体器官を通して脳にアクセスする方法が無難なんでしょうね。「体を通じて通信する」というところに現実的に考えていることが伺われます。そう言う意味では本気なんですね。

写真はソフトバンクとは何の関係もない、ホンダと島津製作所のBMI技術開発のニュースリリースより。2009年3月末のですよ。

2010年6月27日日曜日

4分33秒についてwolframAlphaに聞いてみた


ちなみに4’33”と入力すると6.75フィート(81インチ)と答えてくる。
気を取り直してミニッツ、セカンド、と直して聞き直すと、例によって綴りを正しく直してくれた上で、こう答えてくれた。
273秒(4.55分)

という訳で、ウィキでも紹介されている嘘うんちく「4’33”=マイナス273=絶対零度」について思うところを。
絶対零度=無と理解するとこの音楽は無を表す(体験させる)、禅のような音楽ということになってしまうが、まあこれは違うでしょう。自分の体験ともそぐわないし。
でもこれをバルトの零度のエクリチュールの零度、すなわちクイズダービーの篠沢教授の言うところの文体の0座標、原点と捉えるなら、4分33秒は音楽の原点、クラシックでもジャズでも民謡でもない、難しい現代音楽でもかわいらしい歌謡曲でもない、無色透明偏りのないまっさらな音楽と理解できます。
そう言う意味で0度の音楽と呼ぶのはケージの意図に適っているのではないでしょうか。
そういう返事をwolframAlphaに期待したのですが・・・質問の仕方が悪いのかな。

4分33秒の思い出

ジョンケージの4分33秒は中学生でも弾ける現代音楽として小学生の間でも有名だ。
(小学生でも演奏できますが。)
しかし録音はあまりなく、ラジオ等でかかったのを聞いたことも無い。まさに有名無実な作品とも言える。
そんな幻の代表作をエドガーヴァレーズのイオニゼーションとカップリングしたお得盤がこれだ!(アマゾンでも買えます)
演奏中に飛んでいるハエの音が収録されていて、最初あれ?と思って周囲にそれを探すのだが、つぎに録音と気づきそれに耳を傾けるうちに、遠くの工事の音や犬の鳴き声、子供達の嬌声など周りのいろいろな音が聞こえてくる。普段音楽を聴くときにはノイズとして後景に退いていたものが、自分が中心にある世界の一部分として立ち上がってくるのだ。
ケージの意図がよく伝わる名盤。もう20年前のことになりますが、感動しましたね。

やせ薬買いました

上司のおすすめのやせ薬。効果あるそうで私も試してみることに。
「一番いいのは、食べないこと、運動すること。でも自分の欲望を抑えられないなら薬に頼るしか無いんだよ!」
という力強いお言葉に納得した次第。
まあ、これからひまだから運動したいですね。

化物語 第十五話配信されてますよ


化物語つばさキャットその5がHPで配信されてますね。
これが最終回だそうですが、ずいぶんひっぱられたなあという感慨と、まあこんなもんですか、というおちといいますか予定調和で安心して終えることができました。(わたしのなかで。)
全体として、なかなかよろしかったのではないでしょうか。
しかし恋愛感情や愛や友情が、あくまで「あるはある、あらぬはあらぬ」という次第に収まるのは美しいものですが、反面いかにもアニメという感じがします。
唐突ですが、高橋源一郎の「優雅で感傷的な日本野球」を連想しました。


2010年6月26日土曜日

ギルエバンスの個性と発展

ドルフィのメモリアルアルバムに並んで、私のお気に入り。傑作だ!と断言するが、実はよく覚えていない。ただ、やたら感動した記憶だけは残っている。

ビルエバンスはよく紹介されるが、ギルのほうはラジオで名前も聞いたことが無い。
なんででしょうね・・・
私がリクエストしないから?

お恥ずかしいことにこのアルバムしか聞いたことがないのだが、言い訳するならば20年前はこれしか入手できなかったのである。情報もあまり無くて他にどんなアルバムがあるのかも知らなかった。
今検索するといろいろなアルバムが買えるようで、いい時代になったなあと思う。


エリックドルフィ−メモリアルの思い出

エリックドルフィーの代表作を問われれば、大方はOUT TO LUNCH やFIVE SPOTなどこてこてのドルフィーサウンドを堪能できる盤を挙げられるだろう。
もちろん異論はないのだが、コンポーザーとしての一面も伺い知れるこのアルバムをぜひ紹介しておきたい。
これは私が初めて聞いたドルフィーの録音でもあるが、振り返れば全くの異色。ライナーノーツにおいてですら、聞いていてイライラすると酷評されている始末だ。前述の代表作から期待するとかなりがっかりすることは間違いない。そもそもこのアルバムはドルフィーが逝去した際にレコード会社が急遽追悼盤として制作したもの。それが従来のドルフィーのイメージからかけ離れた曲想のものばかりでは、商売優先の駄盤と断ずるひとがいても止むなしか。
しかし、フランクザッパにエリックドルフィーメモリアルバーベキューという曲があり、それでわたしはこのアルバムに興味を持ったのだった。ザッパが認めるジャズはどんなものだろう?と思ったわけだ。
短いアルバムだが、1曲目のミュージックマタドールが名曲だ!と断言したい。

ところが今検索してみると、まったく内容が違うエリックドルフィーメモリアルという盤があるではないか!
こちらは、ファイブスポットのアウトテイクを収めたものらしく、どうやら普通の名盤のようだ。なかにはメモリアルアルバムと間違えないように、とコメントしている人もいる・・・
さて、ザッパに料理したメモリアルはどっちなんだろう?・・・!


2010年6月20日日曜日

マクドナルド閉店に思う

成瀬駅前のマクドナルドが6月末で閉店。30年間ありがとうだそうだ。成瀬駅は開業が1979年なのでほぼ同時にできたお店となる。マクドナルドのなかでも歴史のある店舗のひとつではないだいだろうか。

最後なので行ってみた。19時ちょい前で客は2人。私のあとにおばさんが1人。ちょっとさびしい。クオーターパウンドチーズをテイクアウトした。わたしはふだんはコーヒーしか買わないが、このサンドウイッチはけっこう好き。

動画は半蔵門のマクドナルド。一足はやく、3月末に閉店していた。地下鉄入り口のわきにあった店だと思う。ミュージックバードの公開放送に行くとき待ち合わせに使った。
きれいでいい店だったと思うが、かなり厳しい基準で閉店しているように思う。
ところで、閉店店舗は全て直営なのだろうか?FCだと、オーナーさんがたいへんだろうと思う。

海底油田開発規制強化で原油高騰?!


油田開発を民間企業任せにするのはキケン!とあおったら、世間では既に規制強化とそれによる原油高騰が懸念されているそうだ。
そっかー、原油上がるのか。低所得者のふところ直撃ですね。
というわけで、またトウモロコシが上がったりするのかな、と思いましたがいまのところその兆候はないようで。
収量アップを狙って、遺伝子組み換え作物の需要が増えるのでは?とモンサントの株価をチェックしてみる。
・・・みごとに下がってますな。
ちょっと持ち直しているのか、まだまだ底が見えないのか。
モンサントはラウンドアップからは撤退するようですが、これは長期的にはプラスと信じてます。

宇宙の目玉

宇宙に目玉はないか探してみると、水瓶座のほうにらせん状青雲というのがあるそうだ。
太陽ぐらいの大きさの恒星は最後に収縮し、このような姿になるらしい。
宇宙に浮かぶ目は、自己のまなざしを映す鏡のようでもあるし、人類の運命をそのものとも言える。
宇宙の真理の表象として目玉を理解するなら、私たちはそもそも何を宇宙に問うているのだろう。私たちはあらかじめ明らかにされている真理を前にして、未だその問いを知らない。


2010年6月19日土曜日

安易な海底油田開発に警鐘を

アメリカ、メキシコ湾の海底油田流出が止まらない。
1500メートルもの深度で、作業は技術的にたいへん困難らしい。
それなのに、事故を想定した対策はしていなかったようで、開発企業の責任問題に・・・といっても破壊された自然を取り戻すことはできない。
もし日本に何か出来ることがあるのなら、それなりの予算をとっても支援するほうがいい。そのぶん思いやり予算やら防衛費を削減すればよいのである。近隣諸国にはちょっと長いクリスマス休戦をお願いしておこう。
実際この問題にだれも技術的解決案を提示しないのはたいへん気になる。
こういうときに世界に誇る日本の技術とやらを示さないでどうするのか。
やはり日本の工業技術もワールドカップで予選敗退レベルなのか。

ところで気になるのは、温暖化で活発になっている北極圏の油田開発である。
もし同様の事故が起きたら、日本への被害は計り知れない。南の口蹄疫、北の原油汚染。日本から美味しいものが無くなってしまう。
海底油田開発については、どこの国のものであろうと、予測される事故の影響の大きさを鑑み、その計画の詳細まで強く干渉したい。
技術的に安全性を担保できるまで、シーシェパードなみの活動を国レベルで行わざるを得なくなっても、それが見識を示すことになると思う。
そんな不細工なことをしなくて済むよう、各国に働きかけ、環境保全に配慮した開発の枠組みを作ろう!

科学技術立国の科学音痴国民


遊星イトカワからのサンプルリターン計画の一応の成功で世間が賑わっている。
こんなことがあるたびに、特になんの恩恵も受けなさそうな人たちが、予算を増やせ、技術立国だ、とお祭り騒ぎだ。
まあ、こういう地味な研究をこつこつ行うのは良いことだし、比較的低予算(このプロジェクトで7億円)だから趣味で続けるにはちょうどいいかもしれない。
多発するトラブルを奇跡的に克服できた経緯は映画アポロ13を彷彿させ、エンターテインメントとしては感動的だ。
肝心のサンプリングには失敗している(この時点で砂粒はとれなかったと分かっている)のが残念だが、昔の冒険家同様「行って戻ってくることに意義ある」ということだ。

しかし、この業績をかつて工業で世界に名を馳せた日本という偶像に重ね合わせるのは見苦しい。

だいたいノーベル賞受賞の時期には日本人の受賞者が少ない、もっと予算を、などというが、惑星探査機をいくつ飛ばしてもノーベル賞には届かない。科学的にはもと基礎的な分野にこそ価値があるのだ。(と思っていたが、2009年物理学賞をCCD発明者がもらってますね。)

科学だ技術だ予算だ国力だと騒いでいるが、日本人くらいサイエンスに興味のない国民はないのではないか?遊星サンプリングに7億円かけるのが妥当なのか、3000万くらいでいいのかは分からない。
しかし、一見くだらない?ものも含めて数多くのチャレンジを認められるよう、1件あたりの予算は少なめにしたほうがいいと思う。



錬金術とネットワークコンピューティング

鋼の錬金術師FA第60、61話で扱われる、宇宙の真理のイメージについて。
宇宙に浮かぶ巨大な目で思い出したのが、この漫画。
1978年ごろ少年チャンピオンで連載していた「スーパー巨人」。タイトル思い出せませんでしたが、今は便利ですね。10年前なら、多分検索しても出なかったと思います。みんなの記憶、欲望がネット空間に蓄積され、つながり補強されていく。そんなことを実感しました。
70年代はコンピューティングが魔術的なイメージをもち、2010年には錬金術がオーバーテクノロジーとして描かれる。
ネットワーク技術が現実をファンタジーのように変容させつつある最初期において、『鋼の錬金術師』という作品はネットワーク社会の「欲望のモラル」を扱った作品として今後も再生産される作品になったように思う。

2010年6月18日金曜日

菅直人ミンシュは自民党のトロイの木馬

そもそも増税論議の前にするべきことがある。
→埋蔵金はからっぽでした。お金が足りません。
自民党は消費税10%ですか、じゃあそのあたりで。


みなさんいつのまにか、しょうがないかなあという気分になっていませんかね。
自民党とその木馬のみごとな連携プレイです。

これではっきりしたのが、自民も民主も基本的な社会保障デザインは同じということ。
二大政党と思ったら大政翼賛だった。

いよいよ失われた30年目に突入?!
見方によっては面白い時代に生まれた。こんな国、他に無いだろう。


2010年6月17日木曜日

201話のピー音

英語がわからないのですが、このエピソードはトムクルーズがいい感じにされているように思います。
ムハンマド?が何て言われているのか、問題のシーン?を抜粋してみました。

・・・さすがに何が何やらわかりませんが、感動シーンで相手をコケにしているのでしょうか。
表現の形式とその内容がぶつかり合う手法はポップスでも使われていますね。
きれいなメロディーで深刻な問題を歌うスザンヌベガのトムズダイナーという曲(・・・と思い込んでいましたがルカ、という曲のほうだった。)
明るく元気な曲に不道徳な詩をつけたものとしてはマドンナのマテリアルガールがありますよね。

シーズン14エピソード6


サウスパークはその全ての作品をHPで公開している。
しかし現在、200話とその続きのストーリーである201話は見ることが出来ない。

2010年6月16日水曜日

シーズン14エピソード5 つづき

サウスパークは低俗な表現を含むアニメだが、やっていることはたいへん高尚?だ。子供に低俗な作品を与えたくないというとき、その作品の持っている批判精神を見落としてることがあると思う。
では、そこも含めて多面的に評価、検閲できるかというとそんなことは無理だろう。
言論の自由とはお上品でも口当たりのいいものでもなく、むしろ不快なものだ。
ソクラテスは自身ををアテナイにまとわりつく虻のようなものだと称した。

シーズン14エピソード5

カントに純粋理性批判という本がある。批判というと日本語では何か批判めいたニュアンスがあるようだが、本来クリティクスという語にはそう言う意味はない。でも、日本人がクリティクスをしようとすると、何か批判めいたニュアンスで受け止められ、感情的に反発されることも多い。(問題のシーン?を抜粋してみました)

2010年6月15日火曜日

サウスパークの記念番組

サウスパークはHPでも見られる。英語が分かればなあ。
というわけだが、このエピソード1405は閲覧不可だ。

月は地獄だ!

月の鉱石には従来考えられていたより100倍の水が含まれているとか。

「月の内部に閉じ込められている水をすべて取り出したら、深さ1メートルの海で月面全体を覆うことができるだろう」と、今回の研究を率いたワシントンD.C.にあるカーネギー研究所の地学者フランシス・マッカビン氏は話す。

月は45億年前火星くらいの惑星が地球に衝突したときの残骸だそうですが、問題は月の組成が地球とそっくりだということ、なんだと。これはあり得ない偶然!?

・・・これはつまりそのむかし、地球には同じ火球から生じた双子惑星があって、互いにぶつかり合って月が生まれたということなのでは?
そういえばイスカンダルのとなりにはガミラスがありましたよね。

キャンベルの月は地獄だ!は、月の鉱石から水を取り出して生き延びる、というお話。30年ぶりに思い出しました。


2010年6月14日月曜日

宇宙からの贈り物

小惑星をサンプリング&リターンして、それがアボリジニの聖地に降りてくるなんて、ロマンチック〜!と思いました。
ところでそこら辺に落とされると困ったことになると思いますが、オーストラリアのウーレイは本州の半分程もある射撃場?だそうでイギリスがV2ロケットの打ち上げなどしていたそうですね。
無事にビーコンも作動して難なく発見回収できたようですが、映画にするなら、行方不明になったサンプルカプセルを探しにアボリジニの子供と旅をする。子供に宇宙開発の話を聞かせ、子供からアポリジニの伝承を聞く。
最後に長老の深淵な話を聞く。みたいな話にしたい。(妄想)



2010年6月13日日曜日

ためしてガッテン めだまやき

帰宅してテレビをつけると、摩訶不思議な料理が。
めだまやきを作るのだが、スプーンすくった黄身をフライパンに置き、しかるのちに白身を入れている。
これでおいしいめだまやきができるそうだ・・・
NHKのHPで調べるとポイントは2つ。
1 たまごの黄身は衝撃に弱い。ねっとり濃厚感を保ため、静かに扱うこと。
2 黄身の水分を適度に飛ばす。

そのために白身と黄身を分けて調理したわけだ。
なるほど。
素材ごとに火を入れるのは料理の基本だが、めだまやきには白身と黄身を分けるとは思いも寄らなかった。
実際めだまやきの難しいのは白身と黄身の火の入り方の違いで、これを狙い通りにするのがなかなか出来なかった。
最初から分ければ?というのは発想の転換で大変優れていると思う。

で、実際にやってみた。
意外だったのは先に黄身を焼くと堅焼きになってしまうと思いきや、上手に半熟をキープできるということ。
黄身の上の白味に火が入らないのが悩みだったが、黄身だけ分ければ問題は生じない。
ゆっくり黄身の様子を観察して、おもむろに白身を投入。白身はよくかき回してふんわり感を狙った。これもメレンゲ状にしてみるなど工夫の余地があると思う。
白身の火の回りは早い。が、上面ふんわり、下面カリカリには仕上がらなかった。
こげなどなくきれいに仕上がるのはよくわかった。

めだまやきはシンプルな料理だが、ひと手間かけることで安定して美味しく作ることができそうだ。
黄身や白身の加減を自分で見て考えながら作れるので、気持ちの上でもばたばたしないでいいところが自分に向いている。


シラノドベルジュラックの涙

たまに「何か泣ける映画知ってますか?」と聞かれるが、そんな時はだいだいなんでも泣いている、と答える。つまんない映画でも結構うるっとする方なので、あまり私の感想は当てにならないのだ。
それに泣ける映画=良い映画ではない、と思っているし、映画に泣きを求めること自体に違和感を持っている。
シラノドベルジュラックは、そんな私にも思い出深い泣きの映画だ。
容姿にコンプレックスのあるシラノがいとこの幼なじみに告白できないでいるうちに、彼女を見初めた職場の後輩のキューピット役をするはめになる、というストーリー。
シラノの代筆するラブレターが格調高くすばらしい。
設定を現代の消防士に翻案した「愛しのロクサーヌ」というハリウッド映画もあるが、こちらはモリエール風のコメディになっていて、まったく趣が違う。(テレビで見たが面白くなかったです。)

しかし主役がジェラールドパリュデューなので鼻がでかくても違和感ないし、ふつうにハンサムだ。だから何を気にしているのか、よくわからないのだが、まあ顔の悩みは他人には分からないということだろう。

シラノは実在の人物で月世界旅行というSFの著作が岩波文庫にあるそうだ。
映画で描かれている材木の落下事故も実話だそうだが、いとこのロクサーヌは架空の人物で、実際のシラノはホモ野郎だったらしい。

スティングのロクサーヌという曲があったなあ、と調べると、やはりシラノのロクサーヌから採られているそうだが、パリのたちんぼへの恋を歌っている。
Roxanne, you don't have to put on the red light
Cause these days are over
You don't have to sell your body to the night
Roxanne, you don't have to wear that dress tonight
Walk the streets for money
You don't care if it's wrong or if it's right
Roxanne, you don't have to put on the red light
Roxanne, you don't have to put on the red light
(Roxanne) Put on the red light, (Roxanne) put on the red light

どうも英語はよくわからない。買った女をベットで口説いてるような感じだが、時間延長して!と言っているようにも。
さびは、あかりをつけないで、と聞こえるのか、明かりをつけて、と聞こえるのかどうなんでしょう。

パンがなければケーキを食べれば?


昨日バールでごちそうになりました。ありがとうございます。
二日酔いから立ち直り、おなかがすいたので、戴いたケーキをたべようとおもったら・・・
まあ、どうしたことでしょう!どこにもありません。
お店に忘れたのか、途中まで持っていたのかも分かりません。
途方にくれて、パンがなければケーキを食べればいいじゃん、という台詞を思い出しました。

映画でも使われているらしいこの台詞。(見てません)
マリーアントワネットは実際にはこういうことは言っていないのですが、たぶんベルサイユのばらで広まったのではないでしょうか。(アニメうろ覚え、漫画は読んでません)

ところで、ルソーも同様なことを言っています。
ルソーの告白に偉大な王妃がパンがなければブリオッシュを食べれば良いと言ったと書いてあるそうです。(読んでません)
でも、この王妃はマリーアントワネットのことではないらしい。
当時世間一般でそのような風説の流布がされていたのでしょうね。


部屋のどこかに不平等起源説があるはずですが、たぶんもう見つからないでしょう。(探す気力がありません)
ルソーは民主主義には懐疑的だったようですが、プラトンもそうでした。

(ケーキは冷蔵庫にありました。酔っぱらっていたのに偉い!
でもドアが半開きで中があったまってました。さすが酔っぱらいですね。)


2010年6月12日土曜日

近江牛の福太郎


今半ですき焼きを戴いたのだが、その際黒毛和種子牛登記の写しをいただいたので記念に転記します。 (福太郎くん、たいへん美味しゅうございました。福太郎くんのお父さん、どうかお体を大切に。ご無事をお祈りしております。)
*写真は福太郎くんのお父さん、福之国。
いまのところ陰性ということですが、疎開先の近所で発症した牛が出たということで心配です。

発行支部 宮崎県支部西諸県支所
問合せ番号292-1350794-001
検査年月日平成20.01.29
検査委員谷之木信弘 岡原広明
種付年月日平成18.10.28
人工授精師溝辺正輝
鼻紋963
和牛改良組合認定番号宮-26
雄 福太郎
平成19年8月14日生
父 福之国 黒原 3491(83,1)16育種0002 産検 直検1.08 間検0.94 4.2 (11)53.74.0 育種評価BBACBA
 祖父 北国7の8 黒原1530(86.7)直検1.30 間検0.94 2.7(63)42 73.0 J=10 曾祖父第7系桜 黒原65(80.0)黒育29(81.0)
 祖母 ふみさかえ 黒原624154(80.5)曾祖父福茂 黒原1729(81.8)黒高921(82.1)
母 さくら 黒原1350794(82.0)
 祖父安平 黒原2208(84.0)16育種産検直検1.24 間検0.95 3.0(03)53 74.1 曾祖父安福 黒原1255(81.1)
 祖母さおり 黒原1036192(82.8)曾祖父隆桜 黒原1564(82.5)黒高905(82.7)
繁殖者宮崎県えびの市真幸 西川北 堂園浩文(4504013-00320330)
市場コード0984234128 4代祖 糸秀 個体耳標02420-4343-8

近江和牛認定書
生産地 滋賀県
生産者 清水知良
品種・性別 黒毛和種・去勢
個体識別番号0242043438
出荷月齢 31ヵ月
枝肉格付 A-5
と畜場 滋賀食肉センター
発行日 平成22年4月15日
滋賀県近江八幡市長光寺1089-4
「近江牛」生産・流通推進協議会
 
近江牛の定義 豊かな自然環境と水に恵まれた滋賀県内で最も長く飼育された黒毛和種

safari5 とcosmopod


サファリ5にアップデートしたら、起動しないのでちょっと困りました。
どうやらcosmoPodというプラグインのせいらしいので、この機会に削除。
さてこのプラグインはどこのフォルダーにあるのかしら?
・・・それらしい名前のフォルダーは見つからないなあ、困った、と思ったら、インストーラーで削除するらしい。

どうやってインストールしたんだっけ?
pc内のファイルを探してみる。
で、cosmopod-x.x.dmg というファイルをクリックしてみるとインストラーが召還された。あれ?動く・・・
これを作動させるとインストラーが作動。
どうなるのかなあ。おっ、ダイアログが開いた。
ここでアンインストールのボタンを探すと・・・
ありました、アンインストール。
はい!クリック。
問題なく削除できた。
最近パソコン用語が分からなくなって来ているのですが、手探りでなんとか解決しました。
サファリ5はtop画面が速くなりました。

鋼の錬金術師FA第60話


地球は宇宙の真理を解明する巨大コンピューターシステムだった!
というわけで、真理の扉を開いた先にある答えは・・・
42 ?


2010年6月10日木曜日

ルソーの一般意志とか

志紀島啓先生が6月3日のポストでルソーの翻訳について触れていたので、そういえばルソーの翻訳HPがあったなあ、と改めて探してみた。・・・ありましたよ!「古典のつまみぐい」というサイトでした。

しかし、全体の意志が多くの異なる意志の中から生まれて、その考えが正しいものとなるためには、国民が正しい知識をもって審議するだけでなく、市 民たちの間であらかじめ互いの意志を通じておくことがないようにしなければなりません。もし一部の国民が党派を組んでそれを国家よりも優先するようなこと があれば、それぞれの党派の意志はその党員にとっては全体の意志となるとしても、国家にとっては単なる個別の意志でしかありません。そして、そのような場 合には、投票が行われたとしても投票者の数と同じだけの投票があったとは言えません。それは党派の数だけしか投票がなかったのと同じなのです。

http://www.geocities.co.jp/hgonzaemon/rousseau2.html

ここの翻訳はルソーの論文は朗読されるためのもので、同じ意味でも2度目には語を替えて書いている、という考え方でされているそうです。日本語としてこなれているし、語の細かい使い分けに拘泥しないという方針でいいのだとおもいます。
(哲学的な疑問については私にはよくわかりません)

(以下志紀島先生の記事全文)

ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』一般意志は誤り得るか

Si, quand le peuple suffisamment informe delibere, les citoyens n'avaient aucune communication entre eux, du grand nombre de petites differences resulterait toujours la volonte generale, et la deliberation serait toujours bonne.
アクサンは全て省略。

a)人民がよく事情を知って討議するとき、市民が相互間になんらの連絡ももたないとしても、多くの小差があったところで、結果として常に一般意志を生じ、その決議は常に正しいものであろう。(井上幸治訳・中央公論社世界の名著ルソーp253)

b)人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに意志を少しも伝え合わないなら(徒党をくむなどのことがなければ)、わずかの相違がたくさん集まって、つねに一般意志が結集し、その決議はつねによいものであるだろう。(桑原武夫・前川貞次郎訳・岩波文庫p47)

c)人民が十分な情報をもって議論を尽くし、たがいに前もって根回ししていなければ、わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれるのであり、その決議はつねに善いものであるだろう。(中山元訳・光文社文庫p65)

東浩紀も注意を促している箇所であるが、読めば読むほど奇怪な文章だ。一切のcommunication無しで、delibererは可能なのだろうか? どちらかの語の意味を考え直す必要がある。また人民と市民の差異をルソーはどこまで厳密に考えているのだろうか。差異はルソーにとってよいものなのか、悪いものなのか。訳文を読む限り見解は一致していない。

日陰のふたり

マイケルウインターボトムの出世作で唯一のコスチュームプレイ。
彼の作品の中でこれが一番すき。
敬虔な神学生が愛に絶望し、神を憎むに至までの物語だ。
テレビでは広川太一郎が吹き替えをしていたが、気になるシーンがあった。
大学に進学できず、都会で石工として働いていたジュードが、路上の神学生にからかわれてかんしゃくをおこし、「おれはお前らより勉強しているんだ!」とラテン語を暗唱するシーンがあるのだが、このラテン語がひどい。
いくらなんでも下手すぎるよ〜広川サンと当時思ったが、今日帰りの電車でふと思うに、田舎で独学でラテン語を勉強してきた男の語学力ってこんなものなのかも。
本人の自負と実力のギャップ。人生の物悲しさを表す名シーンでありました。(ただし吹き替え版に限る)

少子化なんとかしろ!あと・・・惰性で増税はやめろ!

なんだか消費税UPで財政健全化&福祉充実を宣伝しているようだが、
年金制度崩壊の根源は少子化!
少子化対策の優先順位が低すぎるように思う。

増税で財政健全化という主張も昔むかし、橋本内閣で言っていましたが、やってみたら景気は冷え込みましたね。
景気対策の公共事業と財政健全化の消費税UPという相反する政策を同時にすることをポリシーミックスというのか?!と当時たいへん疑問に思いました。
いまは亡き渡辺ミッチーがそのとき経済のことは誰も分からないのだからあらゆることをするのだ!と言っていたが・・・
いまでもそんなもんでしょうかね。



2010年6月9日水曜日

消費税の値上げ幅

消費税の値上げは避けられない、という雰囲気を20年かけて作ったのが自民党の功績?
ところで消費税は3%から始まって、5%。次は10〜15%?25%まではあがると言うひともいるようだ。
ところで、どうしてこんなに幅が小刻みなのか?そもそも一体何にいくら必要なのか?
福祉目的税と言う人もいるが、数%の税率で財源として十分なのか?
いったいどの程度手厚いのか?それとも役人の財源確保の方便なのであくまで自助努力が前提なのか?!

年金はいくら給付を受けられるのか?・・・それだけで暮らしてはいけないだろう。
それまでいくら資産形成できるのか?・・・給料は上がらないだろう。
いまから出来ることは何か?・・・できるだけ切り詰めて貯金しようか。

そんな状況なら景気がよくなるはずもない。
仕分けパフォーマンスで国民が税金の使途に関心をもってくれた、と自画自賛した議員がいたが、スリムな政府という解は本質的な問題解決になっていないと思う。




スリムな政府って何?!

さきほど、テレビで新内閣のひとたちの記者会見がありました。
そのなかで、無駄を減らしてスリムな政府を実現させると言ったひとがいました。
スリムな政府って何だろう?
小さな政府 税負担が少なく自分の面倒は自分で看る
大きな政府 税負担は大きいが老後や治療は国が保障する
スリムな政府 行政費用が安い。所得再分配のコストが低い。
ファットな政府 安心感のある、手間ひまかけても公正平等な制度を守る

お金をかけて地方に広い道路を作るのはファット。


2010年6月8日火曜日

ナショナルジオグラフィックipad版はでないのかな

6月4日に木星にいん石が衝突していたそうで。
1994年、2009年と大きな衝突が観測されている。
地球にもひんぱんにメテオ級のいん石がニアミスしてると思う。
そういうリストがあったと思うが見つからなかった。

2010年6月6日日曜日

ジャーナリスムの東スポ化

鳩山政権への批判の常套句は、ワールドカップに臨む岡田監督へのそれと何ら変わらないと思う。
今度の首相には指導力、決断力のあるブレないひとを期待しますとか・・・ナンナンデスカネ。
マスコミ全体がスポーツ新聞のようになってしまいマトモな言論に触れる機会が無くなって来た。

そんなころ思い出した「メディアスポーツ解体」という本は、スポーツ報道を通して世論に刷り込まれる価値観を分析してみせてくれて面白かった。
メディアスポーツで検索するといろいろ類書があるようです。
民主主義の検討の材料としてスポーツ報道はよいモルモットなのかも。

いろいろなものを殺す民主主義

そういえば、こんな本があったなあ。
選挙でなんでも解決すると思ったら大間違いだそうです。
・・・読んでませんが。


日本の民主主義のリコール問題

1年足らずで何度も首相が交代する今日この頃、自分たちの民主主義に重大な欠陥があるのではないか?と考えざるを得ない。

実は民主主義は2500年以上も昔、民主主義の始めのころから批判にさらされていた。
その批判の書がプラトンの「国家」である。
しかしフランスが再度発明?し、アメリカが大量生産した現代民主主義は理性的な人間が共有すべき基本的な価値観とされ、これを疑うことにはかなりの抵抗感が伴う。
私自身も学生の頃、プラトンが詩人や民主主義を否定するくだりでは、何じゃこりゃ!?独裁政権そのものじゃん、と率直に思ったものだ。
しかし政治家や、マスコミ、そして世論の様子をみると、プラトンの衆愚政治への憎しみがそのまま日本に当てはまるように思えてならない。


2010年6月5日土曜日

ピアノレッスンの涙

カンピオンの新作が封切られるにあたって、ピアノレッスンがリバイバルされているようだ。
名作とされる映画で私も好きなほうだが、つまらないというひとも多い。ケチを付けやすい名作といえるだろう。まずストーリーそのものがシンボリックで見た目より神話的なのがくせ者だ。

「これはわたしのピアノ、返してください。」
「ではおれにおまえのピアノを教えてくれ。1レッスンごとに鍵盤を1つづつ返してやる。」
「仕方ないわ。だれにも言わないでね。」
「おお!さすがに良く鳴るぜ!!おまえのピアノ!」
「ああ・・・許して。でも悪いのは私じゃない・・・」
こうしてやっとの思いで取り戻した思いでのピアノを、なんと引っ越しの事故で失い、しかしなぜか逆に晴れ晴れとする。

こんな話なので三流メロドラマを上品に演出しただけ、と受け取る威勢のいい女性がいても仕方が無い。
しかし一方でこれに大泣きする可愛らしい女性もいて、涙のつぼは人それぞれである。
上映終了後、帰りのエレベーター内でまだ余韻で泣いている人の前で、「なにあの映画?何がいいのか分からないわ!」とおっしゃられた若い女性には一同ドン引きいたしましたけど。
あれから10余年、いかがお過ごしでしょうか?

ザ・コーブ上映中止とチョムスキー

某団体の反対とかで、映画ザ・コーブの上映が中止されるようだ。

ヴォルテールの「あんたの文章はほんとに胸くそ悪いが、それを書き続けるあなたの自由は全力で擁護しましょう。」という手紙を引用して、こともあろうにホロコーストは無かった!というトンデモ論文の「言論の自由」をすら擁護したチョムスキーなら、今回のザ・コーブ上映反対運動にどうコメントするか?
返事は本人に聞くまでもないでしょう。

911でアメリカをけちょんけちょんにけなしたチョムスキーが大好きなひとは、この件もチョムスキーに沿って考えるべきなのでは?

実際これは本当にまずいことだと思いますよ。


2010年6月3日木曜日

なぜひとを殺していかんと?


今帰りの電車でユリイカを見ているのですが、その中の台詞。
こういうことを言う子供はときどきいて、その度に大人は何も言えなかったり、そんな子供には鉄拳制裁で体に教えてやれと怒り出すひとがでたり。
でも、人に殺されたくないから自分も殺さない、という考えは社会契約論っぽいけど自分の実感とはかけ離れているんだよな。
弱い奴はいじめられてもしょうがないともとれるし。
たぶんこの問いはまじめを装っているけど実はナンセンス問題、ということではないかと思う。
実際そんなに殺したければ殺せば?でもそうなれば周りの人がゾンビのようにあなたを襲い続けるだろうけど。そう言う孤独な世界に暮らすことになるんじゃないの、とちゃかすこともできるが。
それより先に考えるべきは、「なぜ人を殺さなければならないのか?」ということだろう。実際私たちはいろいろな人を殺して来ているし、さらに多くの人を殺す準備もぬかりなく行っている。そのための経済的負担も馬鹿にならない。
もし本気でなぜ人を殺してはいけないのか悩んでいる子供がいたら、ぜひこの問いを投げかけてみたいものだ。
ちなみに映画では何と答えていたか・・・
じゃあ、おれもお前といっしょに殺してやるか?だったかな。


なつかしいひとに会いました

今日、駅でたまたま前職の先輩に会いました。
10年程前にお邪魔したお宅には屋根に風見鶏、屋根裏がオーディオ部屋といううらやましい環境。
屋根裏だからねえ〜と謙遜されてましたが、壁に平行面がないから音響はむしろいいです、でもご自慢のケンウッドのAVアンプは替えたほうがいいかも。JBLはもっと鳴りますよ〜、と好き勝手申しましたが、しっかり覚えて(根に持って?)くださっていて。
白髪が増えて、年取ったなあとしみじみ思いましたが、会えてよかったです。
ちなみにアンプはそのままのようでした。それが趣味というものですね。