2013年8月31日土曜日

板ガラス売りました

ちょと前ですが、長年塩漬けにしていた日本板ガラス株を全部売却しました。
塩漬けにしている間も値下がりを続け、結局425万円の損。3割下がって顔面蒼白になったときに損切りしていればよかったのに。初心者で損をするのが嫌だったんですね。
その金で海外旅行でも行けばよかったなあ。
まあ、私の人生そのものが旅のようなものなので、いいです。
それにしても、ここまで下がるとは想像できませんでした。10年もすれば戻るだろうと思っていました。ピルキントンの買収は完全に裏目に出ましたね。買収してすぐ独禁法違反でEUから制裁金をとられたときに何か変だなと思いましたが・・・こんな一部上場企業もあるから怖いですね。

2013年8月19日月曜日

鎌倉八幡の美術館で松田正平展

暑いので涼みに立ち寄った。このひとは晩期の作品がよい。歳をとってから作風が変わるのはすごいですね。
オヒョウ 
烏賊とか梨とか、透明感のある明るい絵が気に入りました。生きている画家の描いた絵ってどこで売ってるんでしょうね。画廊?
いままで美術館で、この絵欲しいと思ったことはなかったので、自分の反応が面白かった。


2013年8月18日日曜日

伊勢海老とハイファイオーディオ

先日、三崎まで自転車で行って伊勢海老の鬼瓦焼きを食べてきました。三崎で伊勢海老が獲れるのかは知りません。
ぷりぷりの伊勢エビは箸が通らず、とても食べづらい。結局手でむしって食べました。
まずくはないですが料理としてはどうなのかな、値段を考えると。食べられない部分が多いのも気になります。

オーディオも、良いのは分かるけどこの値段?と思う部分があります。まあ伊勢海老を買っただけで、料理するのはこれからとも思いますが。どうやら自分はちゃんと聞ければ細かいことには気にならない性質のようで、あれこれ比較試聴して選ぼうという気力がありません。やはりむやみに高級食材に手を出さないように気をつけよう。

パルコ劇場 それなり心中


三谷版はチェーホフ桜の園以来で今年は縁がある。今回は近松の曾根崎心中のリメイクかと思っていたがそうではなく、曾根崎心中が売れて心中が流行したという天神ノ森を舞台にした三谷コメディだった。
自殺の名所になった曾根崎で饅頭屋を営んでいた夫婦が、便乗商売を企画して大ヒット。ところが近松の次回作、心中天の網島の上演が始まると曾根崎は閑古鳥が鳴くように。経営難に陥った夫婦は近松に新たな曾根崎心中を執筆してもらおうとする。そのためにはこの曾根崎でそれなりに興味を惹く心中事件を起さなければ・・・というお話。
このストーリーだけで面白さは理解してもらえると思うが、同時にどこか平板で物足りなさもある。
比較して、近松の曾根崎心中はかなりおどろおどろしいストーリーを比較的少ない語数で描ききってたんだなと改めて感心した。

2013年8月14日水曜日

アナログDAC届きました。

とりあえず、LHH300RのTOS出力で音出し。47研の25wアンプ(電源2個)、ハーベスの初代コンパクト7という構成です。
LHH300Rと比較しても仕方ないのですが、ピアノの複雑な響きが聞こえて来て、すこしまじめに傾聴することができます。オペラを聞くと高音のエネルギーが強いせいか、「さしすせそ」の破裂音が障ります。スピーカーの中で誰かが「しいっ!」と言っているような感じ。この辺りはおいおい検討しようと思います。
DACを替えた違和感は全くなく、1週間もすれば換えたことを忘れそう。
音調は細いところもなく、太くもなく、精緻でもなく、稠密でもない。高級機っぽい味付けもない。古い音源でもそれなりに楽しく鳴らします。

2013年8月10日土曜日

仕組まれた人生 本当の自分

バニラスカイをマトリクスと比べてしまったが、これは本当の自分探しというドラマの系譜に連なる。
2000年前後によく流行ったテーマだと思う。トゥルーマンショウ、大いなる遺産、ゲーム。

バニラスカイ DVDで見ました。

オープンユアアイズとの比較。
お互いに似顔を書きっこするシーンで、オープンユアアイズでは美学生が試験で描くような写実的な絵であるのに対し、バニラスカイでは特長を捉えた美しい似顔絵。そしてトムクルーズに「これが僕の目に映る君」と言わせている。
ここに夢に対する現実をあくまで客観的なものと捉えるオープンユアアイズに対し、自分が見て感じたものをリアルとするバニラスカイの世界観が端的に現れている。
タイトルのバニラスカイとは印象派の描く空の色で、世界を主観的に捉える=自分の人生を自分のものとして生きるというテーマを端的に示している。
ストーリーはオープンユアアイズを踏まえたものだが、バニラスカイはこのテーマをかなり用意周到に準備していて、ベタとも思える細かい演技、小芝居、思わせぶりな台詞で夢と現実という対比で語られる何ものかや、人生の豊かな感情世界を表現している。(が、付け加えると、ペネロペやキャメロンディアスの過剰な可愛らしさには辟易した。)
もっともそれは前半のみで、後半はトムクルーズの一本調子の演技が気になってくる。もっともこれは自分をハンサムと自覚している男のエゴ、退屈さを演じきっているとも受け取れるので、彼を大根役者と決めつける訳にはいかない。が、この映画の意味の重層性を損なっているのは間違いない。
ラストはバニラスカイを背景にした屋上反省会で、オープンユアアイズを見ている観客にとっては不要。仮にデビットリンチなら、同じ結末でももっと違う描き方をしただろう。
1999年のマトリクスをつい連想してしまうが、バークリー風の懐疑論よりもそれを乗り越え、力強く生を肯定する思想により重点を置いたところにマトリクス以降の映画作品としての時代性を感じる。
オープンユアアイズの似顔絵