2011年8月30日火曜日

岩見沢の駅舎がブルネル賞を受賞!

鉄道関連の国際的デザイン・コンペティションである「第11回ブルネル賞(Brunel Award)」の駅舎部門で、日本の2つの駅舎が大賞であるブルネル賞を受賞した。JR北海道の「岩見沢複合駅舎」と、九州新幹線の「新鳥栖駅」だ。10月14日に米国・ワシントンDCで授賞式を予定している。
・・・だそうだ。


岩見沢駅は以前漏電で焼失してしまい、今回受賞した駅舎はその後再建されたもの。
歴史的価値のあった旧駅舎の焼失は残念でしたが、現在の駅舎が新しい伝統へと連なり岩見沢の新しい歴史のモニュメントとなることを期待したいですね。
写真は2009年7月の早朝、たぶん。

野田財務省傀儡内閣誕生で日本経済どん底ですか

とにかくNHKが財政再建待ったなし、しかし障害は党内ポピュリストの増税反対、というニュアンスでいつまでも報道するのは止めてほしい。
中立公正のふりして結局財務省の意向に添う報道しかできないのは、結局国営放送だからですかね。

震災から半年経とうとしていますが、この延長で復興と景気回復に取り組むとなると、夜明けの朝顔を見られるのはいつのなるのか。
まあ、朝顔ですから、咲いてもお昼にはしおれますが。
ちょっと景気が上向いたらすぐ増税でまた下降。そういうことの繰り返しを朝顔の比喩に託しているのでしょうね。



2011年8月26日金曜日

木曽音楽祭はじまりました

今日初日。
朴葉の寿司を買い求め、開場までぶらぶらしているとアルプホルンが高原に鳴り響き音楽祭の口火を切る。
しばらくすると、アルプホルンでは聞いたことのない曲が始まる。結構難しそうな曲なのに音が柔らかくとてもいい!
すごいなあ〜、さすが音楽祭。
アルプホルンも超一流ですか。
どんなだろうと会場前の人だかりに寄ると、なんとホルン?でした。
やはりこっちが演奏しやすいようです。

今回の音楽祭は、モーツアルト、ブラームス、ドボルジャークも取り上げ、より親しみやすさを意識したようです。(と思ったが去年の演目を調べると、似たようなものだった。)
それでも普段聞けない曲に光をあてるという基本コンセプト?は健在。
今日の演奏会でも曲の聞き所が分かりずらく、ほとんどのお客さんは置いてけぼりだったような。(モーツアルト、ラハナー、レーガー)
去年は技巧に走ってきりきりした印象でしたが、今年はゆったりしつつも歌わないという感じでこれはこれでよくも悪くもない。
聴衆にサービスしない潔さがとてもさわやかで、明日も聞きたいと思いました。



2011年8月25日木曜日

心の貧しいものは幸いある

私はこのフレーズがわりと好きなのだが、今日ネットをぶらぶらしていたら、このフレーズはマタイが創作したものとか。
まあ聖書はどれも作家の創作で、直接イエスの言葉を書き残したものではないですが。
あらためて翻訳を読んでみると、これは山上の垂訓の場面でマタイとルカが描写している。

で、マタイでは「心の貧しいもの」とあり、ルカでは「貧しいもの」となる。
さてどっちがイエスの真意に近いのか?

わたしがこのフレーズが好きなのは、心に神様の座るスペースを作るように、という意味であって、知恵やら想いやらで心をいっぱいにしていると逆に神のことが分からなくなる、と理解してのこと。
これはエックハルトを読んだときに思ったことで結構気に入っている。

ところが、あらため読むと、この解釈は山上の垂訓の場面ではちょっと整合しない。
読み込み過ぎで、唐突なのである。

結局、たんに貧乏人に呼びかけている場面なんだろうな、と思う。
ただ、だからと言って「心の貧しいものは幸い」が間違い、とは思わない。
そもそもイエスはあまり多くを語っていないし、その台詞に独創的なものは何もない。
ああいう人が本当にいた!というセンスオブワンダーがキリスト教の原点なので、その存在の事実に何を読み込むかは各自の問題だ。


2011年8月22日月曜日

増税論議を道徳問題にすり替えるな!

NHKのニュースで宮城県知事のインタビュー見ました。
村井知事は復興費用を次世代に負担させることに反対だそう。
しかしこれは氏の考える復興モデルと矛盾すると思います。
家を建てるとき、ポケットマネーで済ませるひとは少ないでしょう。
二世代住宅が流行ったときはローンも二世代でした。
後世に価値ある復興を成し遂げるにはそれなりの費用が必要です。
それにはたとえ全国民のおこずかいを集めても、到底足りないでしょう。
もしどうしても短期間で償還したいのなら、おこずかいの範囲で賄えるよう復興予算を策定するべきです。
村井知事は戦中の精神論「欲しがりません、勝つまでは」を踏襲しています。
復興が済むまで欲しがるな、と主張しています。
しかし国民全体が耐乏生活をしたとき、どこからお金が湧いてくるのでしょうか?

増税反対はポピュリズムではありません。
財政健全化の問題と復興財源の捻出の問題を混同させるのは間違っていると思います。

『4ヵ月、3週と2日』


2007年ルーマニア映画。堕胎ものである。
当時非合法とされていた堕胎手術をするために、ホテルを手配し、医者を迎え、費用を恋人から借り、足りない分を体で払い、と友人のために奔走する主人公は写真の右側。堕した胎児を捨てて戻って来ると部屋は空っぽ、やっと探しあてると・・・というシーンだ。
左側のこざっぱりと清々しい風情の女が堕胎したほう。おなかがぺこぺこなの、と色々な部位の肉の煮込みを注文していたが、さらに何か食べようとメニューに食い入っている。
堕胎の罪をはね除けあくまでイノセントな女と、その罪を一身に引き受け試練の旅を終えた主人公。
このラストシーンが映画を特別なものにしており、共産主義時代の抑圧を描くという主題を超え、宗教的な崇高さに到達していると思う。
タイトルは5ヵ月に達すると処置できないよ、と言う堕胎医の言葉から。
この医者が彼女らを道徳的に責めるシーンもあり、たいへん参考に?なりました。

2011年8月19日金曜日

砂漠の町な釧路動物園

釧路動物園の象。いまはもういなく、ただ檻があるだけ。
別役実に『さばくのまちのXたんてい』という絵本があるのだが、まさにその状況です。
そのうちピンクの象が現れるのではないか?と期待したい。
釧路動物園は人が少なく動物をゆったり観ることができる。
Xたんていは現在絶版。アマゾンでは現在7800円。


ふしぎなキリスト教

今夏、旅のおともに選んだのが『ふしぎなキリスト教』。

帯には10万部突破!とあり結構なことです。推薦に小説家の高橋源一郎、脳学者?の茂木健一郎、あと存じませんが森達也さんと言う方の名が連ねられており怪しさ満載。ついつい手が伸びてしまいますね。


読み始めて何か言いたい気持ちになり、読了の頃にはもう何も言いたくない、そんな内容の本でした。
特におしまいのほうは何故だかページを繰るスピードが早くなります。

この本の面白いところは著者の橋爪先生が、人は何故宗教を発明したのか、という高い視座に立ち、そこから近代を生み出した西洋の骨格としてキリスト教を読み解くという姿勢にあります。
アマゾンの書評ではかなりマニアックな指摘がされていますが、話の土俵も問題意識も違いますので、それはそれとして良いのです。
まあ840円とお安いですし、居酒屋でナマ中しかも発泡酒を飲みながら聞くヨタとしては楽しいでしょう。

読みながら、以下の本を思い出しました。もしキリスト教関連で何かまともなものを読みたいと相談されたら、おすすめしたい逸品です。


フロイト 『モーセと一神教』
ユング  『ヨブへの答え』
ルジャンドル『真理の帝国』か『西洋が西洋について見ないでいること』
田川健三 『書物としての新約聖書』
坂口ふみ 『個の誕生』




ヘリコプターマネー

新聞の書評に惹かれてミルトンフリードマンの『貨幣の悪戯』を読んだのは、20年以上も前のこと。
当時大学の教養部で経済の講義を2コマとっていたのだが、どちらもマルクスだった。

と言う訳で、初めて知った普通の?経済学がミルトンフリードマンだったのだが、これもあっさり挫折した。
この本で、フリードマンはヘリコプターでお金をばらまいても名目の預金残が増えるだけ、と説明している。(私の記憶が確かなら・・・)
なるほど!じゃあ、お金をばらまいても経済に影響を与えることは出来ない、ということのなるのかな?
でもこの本の最初では、石のお金にペンキを塗って使えなくすると島全体が貧乏になり、きれいにするとまた活気がでた、つまりお金が足りないと景気が悪くなると説明している。(私の記憶が確かなら・・・)

・・・なんだか矛盾してないかい?

さらにこの辺りから数式がでてきて、よく分かりません!となった。

しかしこの長年の謎に光明が射した。
どうやらフリードマンはひとびとの「期待」という要素が重要と言っているらしいのだ。ただ単にお金が降ってくるだけでは何も変わらない。それに伴って人々の行動が変わることが重要だと指摘しているのだ!

近年、ばらまき=ヘリコプターマネーと否定的な文脈で使われることが多いような気がするが、本家(たぶん)に立ち返って考えるとずいぶんニュアンスが違うはず。

そのうち書棚から探し出して、今度は最後まで読んでみたいものだ。

『貨幣の悪戯』はアマゾンで今なら98円からある。

2011年8月9日火曜日

松たか子の『告白』

松田たか子が中学校の先生を演じる『告白』。一年たってようやく見ることができました。

出来ちゃった婚しようとしたら、旦那がHIVポジティブと分かり、シングルマザーを選ぶ。母と娘の関係性を何よりも尊びこの関係性の中でのみ生きる女教師。その愛娘が生徒に殺されたとしたら・・・・
主人公だけではありません。その娘を殺した生徒もまた母との関係性の世界から出ることを知らず、狭い世界で苦しんでいる。
お父さん!出番ですよ〜

小説なら他人の濃い(異常な)関係性に入り込めるのは一つの楽しみとしてあり得ると思うが、そのまま映画になると見ているほうも息苦しく、退屈でカタルシスからほど遠い。
出口の無い迷路のような映画。しかしこの判で押したような反復がこの映画の美的な様式でもある。

2011年8月5日金曜日

彼女の消えた浜辺

イラン映画。
主人公である奥さんが娘の保育園の先生を親戚?の青年とくっつけようと家族旅行に連れ出します。
ホテルにはこのふたりは新婚夫婦と偽ってます。
未婚の男女の同宿は、表向き禁止なのです。
イランはアルコール禁止の国ですが、自宅では飲酒しています。恋愛も同様のダブルスタンダードなのです。

ところで写真のとおり映画の中では女性はストールを頭に巻いていますが、実際には家の中では外しているのだそうです。これは映画の中ではあっても、人前では女性は姿を露にしてはいけないからです。
日本の映画では女性を露にしないためにフィルムにぼかしをいれることはあっても前ばりして隠すことはありません。(前ばりする際は前ばり自体を隠しますから。)


このあと保育園の先生が行方不明になってしまい、さらに実は婚約者である男性がいたことが明らかになります。
話の焦点はこの婚約者に、この恥知らずな女の行いをなんと説明するか?に移ってしまい、彼女を心配しているはずの婚約者も、自分を裏切ってアバンチュールを楽しんでいたのか?ということばかり気にしています。
彼女は実は婚約者を心から愛せず悩んでいたのですが、そんな心の真実より世間体、男のメンツが大事なわけです。

行方不明になって警察に届ける時、彼女の正式の名前を誰も知らない、というエピソードがあるのですが、彼女の所在なさを表しているように思いました。

2011年8月4日木曜日

昔の円は〜安かった!

バブル金あまりでアメリカの不動産を買いまくったころ。
ロックフェラービルを日本の不動産屋が買ったのはいつだったか、と調べたら1989年10月、そのころは1ドル142円。案外安いのね。「強い円」に浮かれて買い漁ったというわけではなかったようだ。

いったい同時の日本と今、なにが違うのだろう。
生産性が2倍になっているですかね。それとも2倍の付加価値のある産業にシフトしている?
あっ、収入が半分になったかも・・・

もし1ドル140円だったら、失業も財政赤字も解決しているのではないかな。


リンク先の放談。たいへん面白いです。
円高はデフレと同じ。(ドルに対して円が少ないから円が高くなる)
また財務省が税収ではなく増税にこだわるのは、利権確保のためだそうです。