私はこのフレーズがわりと好きなのだが、今日ネットをぶらぶらしていたら、このフレーズはマタイが創作したものとか。
まあ聖書はどれも作家の創作で、直接イエスの言葉を書き残したものではないですが。
あらためて翻訳を読んでみると、これは山上の垂訓の場面でマタイとルカが描写している。
で、マタイでは「心の貧しいもの」とあり、ルカでは「貧しいもの」となる。
さてどっちがイエスの真意に近いのか?
わたしがこのフレーズが好きなのは、心に神様の座るスペースを作るように、という意味であって、知恵やら想いやらで心をいっぱいにしていると逆に神のことが分からなくなる、と理解してのこと。
これはエックハルトを読んだときに思ったことで結構気に入っている。
ところが、あらため読むと、この解釈は山上の垂訓の場面ではちょっと整合しない。
読み込み過ぎで、唐突なのである。
結局、たんに貧乏人に呼びかけている場面なんだろうな、と思う。
ただ、だからと言って「心の貧しいものは幸い」が間違い、とは思わない。
そもそもイエスはあまり多くを語っていないし、その台詞に独創的なものは何もない。
ああいう人が本当にいた!というセンスオブワンダーがキリスト教の原点なので、その存在の事実に何を読み込むかは各自の問題だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿