2011年12月26日月曜日

読んでいない本を捨てるとき

本を捨てられない性質だが、後生大事に持っているからといてなんども読み返しているわけではない。たいていは1回しか読んでいない。
そんな本のうち、ある日もう読まないなと感じるものと、未だ聞くことがあるかもと思うものとがある。
もう読まない本には、まだ読んでいないものもあったりする。文字どおりの積ん読。まあ、この本から卒業した、ということでしょう。良いことです。
最近人生の時間は有限で、自分の知性は決して高くなく、出来ることは限られていると感じます。その範囲で自分は何を読み、何を読まないのか。そういうことをすこしずつ考えながら捨てる本を選んでいます。

あずみんがジョーカーに見える件

消費税増が消費に与える影響は限定的でいったん落ち込んでも、数ヶ月でもとの水準に戻ると言う人もいます。しかしそれでもプラス要因ではないので、実施の時期については慎重に考えるべきであることに変わりないはず。
拙速な増税は、景気の停滞を助長し税収の悪化を招きます。(何度増税してもきりがない。結局高い税率はそのままに社会保障をミニマムにしろという議論に行きつくでしょう。)
今必要なのは持続的な経済成長下で雇用を生み出す政策です。
増税はそのあとで行えば間に合います。
逆に今増税して職安に予算をつけても雇用は改善しません。そんなこと分かっているはず。
大臣が日本経済を破壊する悪のヒーローに見えてきました。

2011年12月25日日曜日

捨てる本残す本 漫画編

とりあえず自分の中で捨てやすいのは漫画。作品そのものの価値ではなく、今後の自分に必要かという観点で大事なものも処分することにした。
黒田硫黄の『日本天狗党絵詞』、駕籠真太郎の一連の作品、笠辺哲の『フライングガール』。このあたりを捨てると決めると、案外いろいろなものを捨てられるようになった。
秋吉秋生の『海街ダイアリー』、榎本俊二の『ゴールデンラッキー』、岡崎京子の『リバースエッジ』もさようなら。断腸の思いのはずが案外晴れ晴れとした気分。・・・バチがあたりませんように。

それでも今回残すのは冬野さほ、高野文子。これはまだもう少しの間手元に持っていたい。

本を整理する

転居を機会にもう少し蔵書を処分することにしました。
で、まずこの本を捨てることにしました。
たぶん1996年ころに買ったもよう。
あのころ実践していたら、何か変わったかなあ、と遠い目。

お風呂の中で読んでいたようで、いい感じにガビガビです。
読み通していないのでもったいないのですが、たぶんこうするのがいちばんいいんだろうと思いました。
他にどこまで捨てられるか、頑張りたい。

2011年12月24日土曜日

サンタクロースの秘密

数ある「・・・の秘密」本のうちで傑作。
レビストロースと中沢新一の小論のカップリングだが、どちらのタイトルも「サンタクロースの秘密」ではない。
表紙のタイトルだけ。
確かこの頃「・・・の秘密」という本が流行っていたような気がする。
ドラえもんの秘密、とか。
つられて買った訳ですが、つられて正解です。

で、サンタクロースの秘密だが、クリスマスのお祭りは古代ローマのサテュルヌス祭に由来し、サンタは地の豊穣を祝い、死と再生を象徴する特異点だ!というようなこと。(記憶で書いております。)
この時期是非ご一読いただきたいおすすめ本ですが、アマゾンで品切れのようですね。

2011年12月23日金曜日

かやのとしひとってどうなのかな

数年ぶりにサイゾー買いました。こういう雑誌を読み込む気力も無くなってます。
その中でもなんとなく小骨が引っかかったように気になる記事があります。
「実践的な知から社会の動きと成り立ちを読む−哲学者・萱野稔人の"超"現代哲学講座 国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか・・・・・気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する−。第18回『高度経済成長が生むバブルのツケ』」

「実践的な知」「知的実践の手法」と同じような語が2度使われているので、これがこのひとの特徴なんだな、と思う。
実践知という語も聞き慣れないが、辞書的な意味としては道徳判断や、現場で適切に行動できる反射神経のようなものみたい。
評論家的な見方ではなく、善く生きる知恵によって社会情勢を予測する、ということでしょうか。氏名に「哲学者」の冠がついているのも目を引きますね。
しかも「超」現代哲学講座だそうです。現代哲学というのも気になりますが、これに「超」がつくのも気になります。おそらく現代哲学の限界を超えた立場という意味でしょうか。現代哲学=理論知、超現代哲学=実践知といいたいのでしょうか。懐かしい図式です。
さらに、国家・権力・暴力の三位一体で世の中の出来事を解説するそうで・・・

ちなみに本文を読むと、「高度経済成長が生む」は「バブル」にかかるのではなく、「つけ」にかかると分かります。

さて内容をざっくり整理すると
1.先進国共通の課題は財政危機。
2.財政破綻の原因は手厚すぎる社会保障。
3.高度経済成長は石油エネルギーの高い効率性に起因する現象で各国一度きり。二度目はない。
4.バブル経済は高度経済成長終了後の低成長下で生じる現象。(実物経済の拡大局面が終了し利潤率が低下・・・このあたりよく理解できませんでした。)
5.金融経済化は低成長社会の必然であり、そのバブルの崩壊が政府債務の増大をもたらす。
6.債務の増大を防ぐには経済のゼロ成長を前提とした歳出カットが必要。
7.新興国は先進国以上のペースで少子高齢化とバブル崩壊に向かう。

・・・ということだそうで、この論説自体にかなりの暴力性を感じました。

ここで講座は終了なのですが、実践知としては以下のようになるでしょうか?
1.小さな政府への志向の結果として自助の価値観が浸透。
2.弱者の犠牲を前提とした社会保障制度の実現。
3.永遠のデフレ。投資するよりタンス預金。

なんだか哀しい実践知です。

ところで文中に「経済成長を経験すると出生率が低下する」という指摘があり、興味を持ちました。その理由として、著者は以下2つの理由を挙げています。
1.労働力として子供を産むメリットがなくなる
2.育児コストが増大する

なるほど、でも本当かな・・・
高度経済成長下ではインフレと実体経済の生産性の向上とあいまって、養育コストより子供の生涯所得のほうが高くなりますから、むしろ出産にインセンティブが働くはずです。養育により労働機会を奪われるデメリットは子供の未来の所得により補えますから。
また、低成長下では、一人当たりの生産性は向上しませんから子供をたくさん育て働かせたほうが世帯全体の所得は増加します。(一人当たりは変わりませんが。)なんで産まなくなるんでしょうか?不思議に思いました。






バケツ流行っていますか?



先日可愛らしいピンクのバケツを被っている子供を見かけました。
水玉に穴が開けられていて既にバケツではないのですが。

それで20年ぶりにバケットヘッドを思い出したのですが、すっかり有名になっていて驚きました。こういう映像を簡単に見ることができるのはすごいなあとあらためて思います。最近の曲も聞いてみましたが、飽きっぽい自分にはすこし難しいかも。末長い活躍を期待します。

アウグスティヌス講話

最近感動する力が衰えていると感じる今日この頃。芸術にや思想に触れても、どうにも疲れてしまう。もうダメなのかな。
そんな時にたまたま読みました山田晶先生の『アウグスティヌス講話』です。

精神的胃弱のわたしにも取り組みやすい話法でさくさく読めます。
しばしば露悪趣味、偽善的と評されるアウグスティヌスの『告白』を正統的立場から解説してくれた「アウグスティヌスと女性」の章がやはりよいですね。ただ全体にあっさりしていますので「ペルソナとペルソナ性」ではぜひ坂口ふみ先生の『個の誕生』を再読したいところ。

読後エックハルトを思い出し、アウグスティヌスとエックハルト、言われる程の相違、対立は無いのではないかなと思いました。わたしには細かい違いが違いと理解できないのです。


2011年12月21日水曜日

プレミオ インプレッション

プレミオには排気量1.5〜2.0までバリエーションがあるのですね。
自分が借りているのが、どれなのか分かりませんが、平均燃費11.5kmとプログレ対比1割良い程度。ぜいたくですが、これには失望しました。

カーナビはカロッツエリアでオーディオシステムを兼ねています。操作は2日ほどいじっているうちに分かりました。音はナチュラルに設定すれば普通。走行中はやや音を大きめにしないとよく聞こえないと感じます。

左ドアミラーの可動範囲が広く、見たいところがストレスなく見られるのはすばらしい。ここは気に入りました。

2011年12月18日日曜日

官製不況で演出される心の時代

まだ豊かさの中での不安というような切り口で見ている人もいるようですが、うらやましいかぎりです。
現実には経済的な困窮が広がっていると思いますが、マスコミなどで顕在化するのは増税後でしょうか。

NHKアーカブで『冬のモスクワ』という1992年放送のNHK特集を見た。インフレに苦しむモスクワ市民の姿を伝えていて、事情は違えど人ごとではないと感じます。20年経ってあの人達は元気に過ごしているか気になりますね。
番組の解説で、今ロシアの人たちは幸せなのか、という問いかけに解説の先生が。
今日本では幸せの意味を再考しているとき。ロシアのひと達も日本と同じように幸せとは何かを模索しているとのお答え。

円高不況、震災、原発事故、地球温暖化と当たり前の暮らしの前提を見直さなければ次世代に未来はない、かのような風潮が演出されています。
成長から清貧へ、ともいうべきパラダイムシフトですが、わたしには飢えて死ぬ人に対し、「足るを知れ」と説教しようとしているようにしか聞こえません。

しんちじり

雪の舞う寒い日曜でしたが、木曽福島の関所跡を見学しました。
平成2年に復元とかで、バブルのただ中ですね。隔世です。
俳句の展示などもあり楽しめました。その中の一句

「磨かれし攻め具 関所の新松子」

福島の関所は小学校で習った「入り鉄砲に出女」をおこなったところで、当時「女改め」には2時間もかけたとのこと。
新松子はしんちじり、と読み晩秋の季語。まだ青くて固く閉じた松ぼっくりのことだそうです。
ほんとうに格調高く力強い歌なのですが、語感の連想でなんだかエロいとおもいました。ごめんなさい。


2011年12月17日土曜日

ジャクソンポロックの部屋

先週愛知県美術館のジャクソンポロック展にいきました。
彼の生涯にわたる作品を年代順に配列して一望できます。
また再現されたアトリエに実際に入ってどんなふうに描いたのだろうと想像してみたり、ビデオで実際の制作風景を知ることもできます。
ポロックについてはこれまであまり興味はなかったのですが、書道に近い感覚もあるのかなと思いました。実際お習字のような作品もあります。
いままではよく知らずに、チャンスオペレーティング的な手法かと想像していたのですが、そうではなく多分100%意図して描いているのでしょうね。


プログレインプレッション 後方被追突安全性

停車していた際、後続車に追突されました。事故の瞬間はよく憶えていない。
いきなりシートに叩き付けられ、あれっ?

追突車両 ノート ほぼ無傷 
被追突車両 プログレ 後部バンパー割れ、左テールランプ割れ、トランク変形、トランク下の板?交換溶接 左サイドミラーが衝撃でケースから浮き上がってました。修理費ざっくり40万円くらいらしい。

お互いおおきな怪我もなく、良かった。しかしここ数日、首が凝る。痛くないけど、痺れるような。今日総合病院に行ったら土日は休みだった。

まあ軽微な事故で済んだよかったのですが、そうなるともっと安全なクルマが欲しくなる。ゼロリスクシンドロームでしょうか。
NCAPを見てみたが、後方追突はとくに評価していないみたい。
ダミー人形では軽いむち打ちなんか調べられないだろうしね。

今回はバンパーにぶつけてくれたので車両全体でうまく衝撃を吸収してくれたように思う。でももし後部座席に人を乗せていたら、首が凝るでは済まなかったろう。
特にヘッドレストのないところは座らせないほうがいい。




2011年12月16日金曜日

比較優位

リカード理論 「絶対優位」と「比較優位」の誤解

リンク先のブログで比較優位の解説を読みました。
経済学の図が理解できないので、話半分ですが、どんな国でも自由貿易で必ず経済成長するという解説。
これはすごいです。

なんども取り上げていますが、比較優位は各自が自分の一番得意なことをすれば全体として必ずうまくいくという有り難い教え。
ただし、国全体としては成長しても個人レベルでは成功と淘汰に2極化する。
成長企業に労働者をシフトしても、その際賃金は下がる。
デフレ状況下でいきなり競争にさらされるのも不安。
なぜ1ドル77円なのか、150円ではだめなんですか?と思います。
円高による不安がなければ、TPPでもめる要素も無かったのではないでしょうか。




度数を変えられる眼鏡!?

http://adlensjapan.co.jp/product_pov/

2011年グッドデザインだそうです。
液体レンズで度数の調整が可能。
でもクルマの運転時には装着しないでくださいとのこと。
しかも眼科医の検眼も必要だそうで、この眼鏡のメリットがよく分からない。
で、HPをよく読んだら災害時の緊急用だそうです。
また、インフラのない発展途上国では有用とのこと。なるほどね。
ニッチ商品ですが、近所の眼鏡やさんで扱っているそうで驚きました。

2011年12月7日水曜日

アイスワイン雅木花

安曇野のワイン。
食前酒によいと思いました。
お値段高め3500円くらい。

アイスワインは果汁が濃縮されるので気候的にやや難しい地域でも良いワインを作るれる可能性があるように思う。
甘口だけでなく、いろいろなタイプも作れるのでは?

2011年12月6日火曜日

休活で景気回復?

本も雑誌も読まず、ネットばかり。 そんな知的に貧しい日々を送っておりますが、さてチャンネル桜の経済討論拝見しました。
最後に、すべての労働者が月に1日有給休暇を多くとると、雇用機会が増えそれだけで景気が回復するとの試算が紹介されました。
普通に考えると、短期で売り上げの増加が見込めないのですから人を雇えるはずがなく、皮算用以外の何ものでもありません。

しかしもし、法令で強制的に雇用を増やせば、理論上莫大な経済効果が見込めるということでもあります。
実際に行えば、恩恵を受ける企業と、何のメリットもなく倒産、廃業する企業とに二極化するでしょうが、その分の雇用を吸収する企業、産業が生まれるならそれでもいいのかもしれません。

もしより現実的に穏当でゆるやかな産業構造の転換、痛みの少ない景気回復を志向するなら、持続的なインフレ政策による景気刺激、雇用機会の増加が前提になるでしょう。その上で政治的な工夫として有給休暇の取得を推進するなら、より大きな効果が期待できるのかもしれません。
多くの企業が、有給休暇を使わないことを前提にしていると思います。反発もあるでしょうが、実現できればすばらしいですね。

2011年12月3日土曜日

沖縄の防衛局長問題に違和感

沖縄県民の心を傷つけたとかで更迭。
しかし、あれは要するに、基地の県内移設はセカンドレイプ、取り繕いようもない、ということ。
沖縄の基地問題に造詣の深い記者を囲んだ席で、職分を踏み越えたぶっちゃけ話をしたわけできわめて人間的だったと思う。(官僚として脇が甘いともいいますが。)

公式の場での建前とプライベートでの本音の使い分けが許されなくなり、建前だけの世の中になっているわけだが、政府の建前と沖縄の建前は違うはずで、沖縄県民が政府の建前で物を言うのはおかしいと思う。
本来なら、防衛局長すら県内移設を犯罪的行為と捉えているという認識を示してくれたと理解し、沖縄県民は人権レベルで基地に反対する根拠を得たとすべきところ。
県民感情に配慮しろ、というのは基地移転を推進したい政府の物言いで、これを地元の人も同様に言うなら、沖縄県民が本当に基地の県外移転を望んでいるのか疑問に感じる。

私は基地が沖縄にあり続ければ便利だな、と思いますが一方で沖縄県民にはもう堪え難いことなんだろうなとも感じています。解決案としては、米軍には撤退していただき自衛隊を置くこと、台湾との連携を深めていくこと、必要なら台湾、韓国に米軍基地を置かれては如何?と米国と一定の距離をとること、かな。
さらに米軍退去にともない、米国が東シナ海で果たして来た役割を今後日本が引き受ける、という建前になるのなら、その応分の負担を米国に求めるべきかと存じます。

イランを国際社会のいじめから守れ

アメリカを中心にイランへの経済封鎖の機運が広がっているそうです。
アフガンから撤退したばかりなのに戦争を示唆するとか、アメリカ人は戦争気狂いなんでしょか?

核兵器開発の疑惑などが取沙汰されているのですが、それが大きな問題となるとはとても思えません。
イランは北朝鮮とは違い、穏当で常識的な国です。(あらためて欲しいところももちろんありますが)
核開発は個人的にはあまりうれしくないことですが、仮に事実であったとしてもそれ自体は主権国家の権利の範囲の事柄でもあります。
先進国が自ら核武装しつつ、核不拡散の方針を貫くことに合理性があるように、もたざる国が核保有へと決断することにも合理性があります。
もし先進国が核を悪魔の兵器と位置づけ廃絶を主張するなら、まず隗より始めなければならないでしょう。
ましてや、核廃絶のために他国を核攻撃するなど大国のエゴでしかありません。
イランへの大義のない攻撃に、日本は断じて同調してはならないでしょう。
イランには逆切れしないよう大人の対応を求めるとともに、欧米には毅然とした態度をとるべきです。
日本は国際社会の友人としてイランに行って核開発の権利を認めつつも、その行使についてはより慎重に検討するよう促し、核の無い平和な社会の実現が悲願でありそのための努力、協力を惜しまないと宣言するのです。
それで結果が悪ければ、それはそのときのことです。