2013年12月21日土曜日

ハーバード流正義論

クリッパー1月号にハーバードの知性を鍛える教室という特集。
おなじみの目の前の1名を犠牲にして5名を助けるのが合理的論が紹介されていた。
今回は哲学ではなく心理学として。たわいものないので本当に大学でこんなことを教えているのか疑問ではある。
1人助かるより5人助かるほうがいいという合理的な判断がシチュエーションの違いで歪むのはなぜかという問題意識のようだ。
もっともらしい理屈づけはともかく、致命的なのが自分は常に安全で誰を殺すか采配する立場でしかものを考えられていないこと。
経営者が経営難で従業員の誰を斬首するのが正義か悩んでいるようなもので鼻白むが、むしろこれが正義の本質なのかもしれないと思った。つまり与え奪う側の正義と、遺棄され犠牲になる側の正義と。英雄道徳と奴隷道徳と言い換えてみたり。

2013年12月2日月曜日

ハンナアーレント

岩波ホールでハンナアーレントを見てきました。
ハイデガーとアーレントのエピソードの選び方や、アーレントが感銘を受けたという講義の内容がイマイチ。ハイデガーは外せないだろうが、この描き方はないと思う。
ラストでアーレントもモラルがどうこうと言い出して、これもなんだかよく分かりませんでした。
エルサレムのアイヒマンは読んでいなくて、悪の凡庸さということくらいしか予備知識はありませんでした。収容所のユダヤ人リーダーの責任(彼らのひとを救うことが出来たかもしれないという可能性)について言及していることは知りませんでした。
それが、悲劇の民族というユダヤ人のアイデンティティ?を傷つけ、そのコミュニティからつまはじきにされてしまうという結末。
ユダヤ人は自らの力でナチと戦うことができた、という主張は最近見たDVDにもあったな。(みんなで襲いかかれば逃げられただろ、的な)
とっちらかったので、書き直す。