2012年5月30日水曜日

一物一価ってほんとうですか

ビックマック指数というものがあって、最近だと1ドル70円くらいでハンバーガーの価格が釣り合っているから今の為替は妥当、と言われたりする。
さてギガジンという昔の宝島みたいなところで、コカコーラのレポ。
アフリカでのコカコーラの価格調査です。


これだと適正レート比100%円高、になりませんかね。
http://gigazine.net/news/20120526-african-coke/
モロッコ 1l 6MAD (約62円)
モーリタニア 300ml 100MRO (約30円)
セネガル 300ml 250CFA (約45円)
ギニア 300ml 3500GNF(約31円)
シエラレオネ 300ml 1500SSL (約28円)
マリ 300ml 225CFA (約40円)
ガーナ 300ml 0.7GHC(約38円)
ベナン 600ml 450CFA(約81円)
ナイジェリア 500ml 70NGN (約37円)
カメルーン 600ml 400CFA (約68円)
ガボン 600ml 500CFA(約85円)
ケニア 500ml 40KES (約31円)
ウガンダ 300ml1000UGS(約28円)
ルワンダ 300ml 250RWF(約34円)
タンザニア 350ml 50TZS(約25円)
モザンビーク 300ml 15MZN(約43円)
ジンバブエ 300ml 0.5USD(約40円)
ザンビア 300ml 3000ZMK(約51円)
ボツワナ 300ml 4BWP(約47円)
南アフリカ 300ml5.5ZAR(約60円)

サイゾーのかやのとしひと 6月

視点をクリアにする情報誌、だそうですが。
今月のかやのとしひと、金融緩和が市場に与える逆説。
デフレの原因は資源高に起因する賃下げ、海外との低価格競争、人口減による国内市場の縮小などの複合要因だそうです。安易な金融緩和は実体経済に回るよりも投機市場に流れ資源バブルを呼ぶと警鐘。

そうなんですか・・・
低価格競争も人口減もデフレと関係ないように思うのですが。
賃下げと資源高騰の関係も疑問。
さりとてご紹介の「日本経済の奇妙な常識」を読む気にもなれず。
自分の頭がクリアでない、ということがよく分かりました。

ところでこの論考での構造改革は以下のようになりそうです。
1.安価で安定供給可能な化石燃料の開発
2.新興国と競合しない分野への産業シフト
3.人口増化

もちろん普通に考えれば、デフレにより企業投資が冷え込んでいることがこのような構造改革の足かせになっているのであって、そのためにはまず金融緩和によるデフレからの脱却が必要なのです。そしてもしそれで実態経済が改善されないようならなにか規制緩和が必要、と考えるべき。もしかすると、かやの氏の構造改革論はその規制緩和を考えるうえで有用かもしれません。

2012年5月29日火曜日

日本板硝子が84円で笑った。

どうも様子がよろしくないそうなので、損きりしようかなと思って株価をみたら。
なんと84円と!
ここまで下がるんだなあ、と感慨。すごいよ。
死ぬまで持っていれば、いつか良くなると漠然と思っていましたが現実は違うようですね。

2012年5月27日日曜日

おもしろいかも ブレヒト

戦争で子を失う母の哀しみ、という要素もありますし、弱者のみせる命がけの勇気という見せ場もあって読みやすい。
戦争の犠牲になるひと、それで身を守るお偉いひと、戦争という経済の仕組みのなかでゆっくりと滅亡に進む社会の姿はデフレにあえぐ日本のそれと重ね合わされます。
ほかにも読んでみたいと思いました。

吉田秀和さんの訃報

5月22日に亡くなっていたそう。98歳。
名曲の楽しみはいつまで放送できるのでしょうか。
自分にとっては音楽評論より絵画論で馴染みがある。
自分の興味関心に応じてつれづれ読んでいきたい。合掌。

2012年5月23日水曜日

見ました 偽物語

お話としてのカタルシスは薄いのですが、一応筋の通ったオチになっております。
天然ぼけと計算し尽くした(偽ものの)ぼけ。同様にウケたならどちらに価値があるか?というテーマ。
意志による善の実現に価値を見いだす議論はシェリングの『人間的自由の本質』を連想させます。たしかこの手の議論はシェリングの独創ではなく、アウグスチヌスもしているような気がしますが、何も思い出せませんな。
全体的にどうでもいい印象ですので、最終回は見なくてもいいかなとも。

2012年5月19日土曜日

ワイアードの続き

ワイアード4号の感想のつづき。
SNSで民主主義を取り戻そう的な内容なアル・ゴアのインタビュー。

その中で彼は、9.11のころフェイスブックとかがあれば国民はサダムフセインが9.11の犯人だとだまされることはなかったと主張します。
しかし当時同様にソーシャルメディアなどなく、国民がテレビ漬けにされていた日本では、フセインが9.11とはまったく関係がないことは周知のことでした。
わたしも一読してこの発言の意味が読み取れず、ゴアはフセインとビンラディンを混同したのかな、と思ったくらいです。(フセインがいつ捕まったのか、その経緯は忘れちゃいました。)

どうしてアメリカ人はフセインをスケープゴードにできたのかは、テレビで洗脳されたというだけでは到底理解できない問題です。おそらくアメリカ人には外国人を個体識別することが難しく、サダムフセインもビンラディンも同じ様なものと認識したのではないでしょうか。アフガニスタンもイラクもアメリカ人にとってはだいたい同じ、と考えれば納得です。

そう考えると、ソーシャルメディアによって民主主義が正しく機能するという主張はかなりあやしいものです。もしソーシャルメディアがアメリカ人を正しい認識に導くとすれば、それはアメリカ人同士でのネットワークではなく、アメリカ人と外国人との間でのネットワークの構築、そのなかで人としての交流を通じて達成されるものでしょう。

ワイアード vol4

今号のワイアードのお題は生物学。しかしチラ見して気になったのはそれとは関係のない記事でした。
まず冒頭の編集長コラム「え?マグロもなの」
全体によく分からない記事で読まなくてもよいものではあるのですが、ここで天動説を地動説と書き間違える勘違いがあります。

「DNAに生命の神秘が宿るという考えも100年後には地動説のようにとんちんかんな考えとなっているかも」(原文はさらに冗長なので書き換えました。)

これではまったく意味が通らないので地動説を天動説に読み替えると、まあ言いたいことは分かります。しかしDNAに生命の神秘が宿る、という文の意味が不明なので結局よくわかりません。
というのも前段で「我々の世界認識は科学的成果に基づいており、我々の言う真実とはすなわち科学的真実である」と書いてあるのです。(原文は冗長なので、括弧の引用はすべて書き換えました。)
そもそも生命の神秘は科学的認識の対象なんでしょうか?おおよそ記事の趣旨は「知れば知る程分からないことも増える、これこそ世界の神秘だ!」というものなので、DNAを研究すればするほど未知の現象が発見される、と理解すればいいのでしょうか?
しかしこれが100年後にパラダイムシフトがおこってだれにも省みられないとんちんかんな戯言になるかもというなら、この記事そのものが成立しないといことです。

2012年5月13日日曜日

昔、登戸は海だった?

富嶽三十六景の登戸浦。
海辺だったことに驚きました。・・・驚きすぎて、浜辺に鳥居があることには疑問を持ちませんでした。

ネットで拾って来た絵は展示のものと少々雰囲気が違うようです。刷りによって色味がかなり違うようですね。

三井記念美術館へ北斎展に行きました

ちょうど日野原学芸員による、波と富士の系譜という講座があり2000円(入場券つき)で参加しました。おもに神奈川沖浪裏という左の絵の解説なのですがさすがに面白かった。
指摘されたことのひとつに、画面を占める大きな波の手前にあるちいさな波は実際にはあり得ないということ。
私は望遠レンズのように画面を前後圧縮したか、あるいは崩れる波を同時表現したのではないかと思いました。
ところで下は琉球八景の中島蕉園ですが、ここに富士山が書き込まれています。沖縄から富士山が見えるんでしょうか?・・・桜島?

2012年5月12日土曜日

見ました ミッション8ミニッツ

傑作ではありませんが、この映画は好きですね。
「エターナルサンシャイン」と「恋はデジャブ」と「冬物語」を足して15倍に薄めた感じ。
主人公は、8分間の人生最後の瞬間(しかも他人の)を無限に反復する中で、新しい恋を得、父と和解し、そしてテロリストをやっつけます。

絶望的な人生に必要なものは愛とユーモア。無数にある宇宙のどれかで僕らはきっと幸せに暮らしている。そう考えるとせつなく、ほろっと泣かされます。
何時か何処かで誰かの私は、きっとすべてうまく行く。せめてそう言ってもらいたいというハッピーエンドはなかなかビターですが。

この作品はSFサスペンス仕立てですが、恋のミッション8ミニッツ、あなたは8分間であの美女を口説けますか?と読み替えると毎日の通勤電車が一つの宇宙に変わりますね。そんな年頃もあったかなあ、と思い返しました。

2012年5月11日金曜日

電気料金審査委員会ってなんなのさ

東電の値上げのアリバイ工作のために有識者による審査委員会を設置するそうです。
あからさまに従来の電力行政を追認し監督省庁の利権を確保しているだけですよね。
そしてこれを発表したのが枝野さん。もう何を言っても国民を馬鹿にしているようにしか聞こえません。

このような審査委員会が導入されること自体が、独占市場の不健全さの証拠です。
国が行うべきは中長期的に電力業界を公正で自由な創意工夫の働く世界に変えて行くことです。さしあたり東電の解体はすぐにできたことなのに、本当におかしなことだと思います。

2012年5月6日日曜日

原子力発電の未来について

自分の考え方を整理しておきたいので。
1.原発事故を消費社会からどこかへの転換点とする文明論には与しない。
2.原発への取り組みは根本的には発電会社が検討して選択すること。
3.発電会社の公共性の確保のためには市場の自由化が前提として必要。
4.原発の安全性評価について
 (1)なんらかの原因による付帯設備の損壊と電源喪失を前提とする。
 (2)考えられない最悪の事態において生じる危険性が、十分容認できるものであればOK。(発生率が1万年に1回でも人類が滅亡するなら不可。・・・多分。)
 (3)受容可能な危険性は状況によって変わり得るので随時見直しが必要。安定的に持続する社会であれば、合理的なコストでリスクとハザードをより低くする努力目標が求められる。
 (4)絶対安全はあり得ない。日常ある他のリスクと横並びで検討すること。(放射性物質による健康被害のリスクを感情的にとらえない。また代替エネルギー開発が原発より安全とは限らない。)
 (5)人によって受け入れられるリスクは違う。しかしそれが公正さを損なわないように配慮する。
5.核燃料リサイクルの実用化について
 (1)莫大な予算をつけているにもかかわらずほとんど成果を挙げていない。さらに研究体制を充実させるか、もう辞めるか、検討するべき。
 (2)今回の事故への対応で、特に日本がこの分野に突出して優れているわけではないと実感した。日本だけでやろうとせず、海外の企業、研究機関と共同で取り組めないのか。
 (3)日本の原発事業は核リサイクルの完成を前提にしているので、開発の失敗は発電企業の経営リスクになる。これを事業計画に織り込むこと。


私は昨年の原発事故を科学技術の限界点とは捉えていません。しかし政府と行政、科学者集団のあり方には根本的な疑問を感じています。
自分の考える安全基準では当面の再稼動は無理なのかなとも思いますが、心情としては実は再稼動容認派です。ただ前提として、起こりうる最悪の事態と、電力の便益とバーターするリスクを明らかにする必要があると思います。

原発停止を主張する人の中には、これによって企業の海外移転、日本人の海外移民が生じてもやむを得ないと言う人もいます。しかし放射能に汚染されてふるさとを追われるのも、失業して海外に移民するのも同じように悲劇的なことです。国民の生命財産を守ると言いながら、所得が低く財産が無い人を踏みにじることがあってはなりません。あまり極端な結果を選択しないようにしたいと考えます。