2011年4月10日日曜日

日本人の心性にひそむ清算主義

国の原発安全指針には、今回のような電源喪失を想定する必要はないとあるそうだ。
原発の絶対安全を担保する指針においてでさえ、そこまで心配しなくていいよ、と途中で投げやって平気な日本人。
行政の怠慢というより、これが日本人なのだろうと思う。
杞憂ということわざの出番でもある。
杞憂とは昔中国の杞という国のひとがいつか天が落ちてくるのでは、と心配したということに由来する。
日本人は今の世の中がいつまでも続くという前提を疑うことが出来ない、と同時にいつかこの前提が壊れてしまえばいいとも考えている。
ガラガラポンの待望である。
現実的な対策より、抜本的な解決が常に求められる。
そして抜本的に解決できないなら現状のままが望ましい、となる。
ただしその現状が永遠に続くものと前提されるものとして。

この安全指針を作ったとき、電源喪失の可能性を検討しなかったはずはない。
そして、こう思ったのだろう。
そうなったら日本は終わりだから、そこまで考えなくていいでショ。


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