新宮一成の「ラカンの精神分析」。もう絶版と思い込んでいたが、新装版が普通にアマゾンで売っている。20年程前に読んで、ずっと棚に置きっぱなしだったが、処分するためにもう一度読んでみた。
対象aは黄金数である、ということを反復しているだけの内容だが、鏡像理論の意義が分かるだけで十分存在価値がある。
自分では見ることのできない、他人から見た自分を自分自身として受け入れること。そこに語る主体としての自己の裂け目を見いだすこと。
そして合理性の中に道徳律が埋め込まれているように見えるとすれば、(ルジャンドルに敷衍して、)それはローマ=キリスト教の枠組みでの正当性が背後にあること。
白熱教室式の決議論を相対化する手がかりにしたいと思っています。
この新書はおすすめではありますが、一方で何か深遠なものに触れているという気分だけが濃厚、というのが二度目に読んだ率直な感想です。
左が自分の持っている版の表紙。
0 件のコメント:
コメントを投稿