で、父の権威とは何か、と考えると慎太郎の考える父親像はアメリカ映画的な父親である。しかし家では強いふうなお父さんも、一歩社会に出れば一介の労働者であり、時として無力な存在であるのが現実。この現実を隠蔽してファンタジーの父親像を演じろというのが慎太郎の主張する強い父親の内実だ。
対比して、ケンローチの描くお父さんは、自分の弱さを隠さない。そして家族のために頑張っている。
いったいどっちが父親として家族に向き合っていると言えるだろうか。
レイニングストーンを見れば、強い父とは子供を背にして社会に対峙するものであり、子は常にその背中しか見ることは出来ないということに思い至るのではないだろうか。
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