脱原発の世論の中で、3.11以降の社会を産業革命からはじまった消費社会の終わりと位置づけるひとがいる。
所有する喜びから自由になり、足るを知り共に分かち合うことで、GDPで負けていてもより豊かな社会を実現できるという絵柄だ。
しかしお金がなくても幸せになれる、というコンセプトは共産主義が追求して破綻した道筋ではないだろうか。
もちろんそれでエネルギー問題が解決するわけでもないし、まさか江戸時代に帰ろうというのは行き過ぎた主張だと思う。
2011年6月29日水曜日
2011年6月26日日曜日
またまた辰野蛍まつり
先日再び辰野に赴き蛍祭りを堪能してきました。
前日の発生数は5800匹だそうで、期待した1万匹には届きませんでした。
一方、人は1万人を超えたかもしれません。
みなさん写真を撮ったり、フラッシュを焚いたり、AF補助光で辺りを照らしたり、思い思いに楽しんでいます。
携帯のバックライトはとにかく明るいし、携帯カメラはフラッシュ、ライトをOFFにしてもAFのためにかなり盛大に光りますね。
中には携帯のライトで自然観察しているカップルもいて。
気合いの入った撮影チームはちょっとカリカリしていましたが、カメラのライブビュー、メニュー画面も目障りといえば目障り。
先週は薮の中に光る蛍を星に見立てる風情でしたが、今回は頭上に飛び交うし、手づかみにする子供もいて、蛍のサービスは満点です。
蛍の舞う中、家路に向かう行列をみると、まるで盆踊り。
蛍は天然の精霊流しです。
蛍祭りは文字通りお祭りなんだなあと思いました。
前日の発生数は5800匹だそうで、期待した1万匹には届きませんでした。
一方、人は1万人を超えたかもしれません。
みなさん写真を撮ったり、フラッシュを焚いたり、AF補助光で辺りを照らしたり、思い思いに楽しんでいます。
携帯のバックライトはとにかく明るいし、携帯カメラはフラッシュ、ライトをOFFにしてもAFのためにかなり盛大に光りますね。
中には携帯のライトで自然観察しているカップルもいて。
気合いの入った撮影チームはちょっとカリカリしていましたが、カメラのライブビュー、メニュー画面も目障りといえば目障り。
先週は薮の中に光る蛍を星に見立てる風情でしたが、今回は頭上に飛び交うし、手づかみにする子供もいて、蛍のサービスは満点です。
蛍の舞う中、家路に向かう行列をみると、まるで盆踊り。
蛍は天然の精霊流しです。
蛍祭りは文字通りお祭りなんだなあと思いました。
2011年6月25日土曜日
原発安全対策はメルトダウンを前提に
原発の安全基準はどのようなものであるべきだろうか。
防潮堤をスカイツリー並みにしても、震度8の耐震性を備えても、これで十分と言えることはない。
最悪の事態を想定して、その被害を最小限に抑える対策が必要だ。
つまり、メルトダウンしても放射性物質は建物からでないようにできれば、安全面ではほぼ問題ないと言える、はずだ。
実際にメルトダウンした場合の避難計画、除染対策など必要なことを決めることによって、漠然とした不安を受け入れ可能なリスクに変えることが出来るようになる。
私は炉心がメルトダウンしたらアルゼンチンまでトンネルができると思っていたが、実際にはそうはならないそうだ。
であれば、原発は爆発さえ防げれば、大規模な汚染は避けられるはず、ではないだろうか。
日本の原発は、もともと水がなくなれば、反応は停止してしまうのがウリだったはず。
万が一のときにはさっさとドライにしてメルトダウンさせる仕組みがあれば、最悪の事態では逆に被害を最小限に抑えれられるに違いない。
既存の原発の改修についても、いかにメルトダウンを避けるかではなく、いかに安全にメルトダウンさせるかという視点で検討するべきだと思います。
防潮堤をスカイツリー並みにしても、震度8の耐震性を備えても、これで十分と言えることはない。
最悪の事態を想定して、その被害を最小限に抑える対策が必要だ。
つまり、メルトダウンしても放射性物質は建物からでないようにできれば、安全面ではほぼ問題ないと言える、はずだ。
実際にメルトダウンした場合の避難計画、除染対策など必要なことを決めることによって、漠然とした不安を受け入れ可能なリスクに変えることが出来るようになる。
私は炉心がメルトダウンしたらアルゼンチンまでトンネルができると思っていたが、実際にはそうはならないそうだ。
であれば、原発は爆発さえ防げれば、大規模な汚染は避けられるはず、ではないだろうか。
日本の原発は、もともと水がなくなれば、反応は停止してしまうのがウリだったはず。
万が一のときにはさっさとドライにしてメルトダウンさせる仕組みがあれば、最悪の事態では逆に被害を最小限に抑えれられるに違いない。
既存の原発の改修についても、いかにメルトダウンを避けるかではなく、いかに安全にメルトダウンさせるかという視点で検討するべきだと思います。
2011年6月21日火曜日
2011年6月19日日曜日
原発と夢とお金を読んで
毎日新聞の発進箱というコラムで。
なし崩しの脱原発という風潮に、経済面できちんと検証しようという主張です。
原発の代替発電の化石燃料費に3.5兆円、世帯当たり千円/月の負担増、産業界へのインパクトはもっと大きく空洞化を助長しかねませんが大丈夫ですか、という内容です。
ここでは原発というシステムの経済性そのものについての議論と、現時点で原発を終了させることに伴うコストを意図的に混同させるというテクニックを用いています。
もともと原発はエネルギーの安全保障という文脈で導入されたので、経済性、安全性についてはたぶん二の次でした。何が何でも物にしなければならない技術でしたので、経済合理性や安全性の確保は努力義務、という位置づけだったのだろうと思います。
原発の安全保障における価値は、高速増殖炉の開発が頓挫したことで失われてしまいました。
その上でいま経済性、安全性を検証するならば、どのような結論になるのでしょうか。
なし崩しの脱原発という風潮に、経済面できちんと検証しようという主張です。
原発の代替発電の化石燃料費に3.5兆円、世帯当たり千円/月の負担増、産業界へのインパクトはもっと大きく空洞化を助長しかねませんが大丈夫ですか、という内容です。
ここでは原発というシステムの経済性そのものについての議論と、現時点で原発を終了させることに伴うコストを意図的に混同させるというテクニックを用いています。
もともと原発はエネルギーの安全保障という文脈で導入されたので、経済性、安全性についてはたぶん二の次でした。何が何でも物にしなければならない技術でしたので、経済合理性や安全性の確保は努力義務、という位置づけだったのだろうと思います。
原発の安全保障における価値は、高速増殖炉の開発が頓挫したことで失われてしまいました。
その上でいま経済性、安全性を検証するならば、どのような結論になるのでしょうか。
2011年6月18日土曜日
いったいお茶は何ベクレル?
乾燥させた茶葉の放射能が高いのは当然ですね。
今回フランスで廃棄処分された静岡県産の茶葉は1キログラムあたり1000ベクレル超。
EUの基準の2倍だそう。
・・・ということはEUも日本国内の基準と同じ500ベクレル/kg?
リョウシンテキですね。
ちょっとびっくりしました。
ただ、一部の嗜好品に放射性物質が微量含まれているという状況と、ほとんど全ての食品に微量放射性物質が含まれているという状況では、トータルの内部被曝量は著しく異ります。
日本の基準がEU並みで安心!とは言いがたい。
ほんの一時期、一部の食品が汚染されているということなら現状の暫定基準値でよいかもしれませんが、事故の収束が設定時の想定よりはるかに長期化しているのですから、今後10年間摂取し続けても問題ないレベル、ようするに事故の前に普通に考えていたレベルまで厳しくするべきです。
しかし、基準を厳しくすればコストが上がります。緩めて問題ないところは緩める必要があるでしょう。
低線量の被曝のリスクは年齢によって異なります。
赤ちゃんには一層の注意が必要ですが、年寄りには好きなものを食わせたほうがいいでしょう。
中年男性ならこまかいことは気にするなと言いたい。
年齢によって異なるリスクを管理するために最低限必要なのは、いったいこの食べ物は何ベクレルなのか?という情報です。
いまは基準値以下!というお墨付きがあるだけで測定値は公表されていないようですが、むしろ積極的に公表するべきだと思います。
2011年6月14日火曜日
裏声で歌えよ!君が代
最高裁で半けつ。
教師の君が代斉唱は職務だそうな。
会社の飲み会でカラオケに行ったら、好きじゃなくても1曲歌うのがエチケット。
その社会通念に沿うなら、君が代くらい歌えと言われても相当でありますな。
また職場の飲み会でのカラオケ強要にも、「飲み会という職場の行事を円滑に進行するカラオケの目的や内容などを総合的に比較すれば、あまり人前で歌いたくないという本人の意志を制約できる程度の必要性、合理性がある」と言えます。
しかし実際に歌わせると、おそらくなかなか思惑通りにはいかない。
例えばもし突拍子も無い音程だったら?あるいは異様に勇ましかったり。
きっと「もっと厳かな気持ちを表現して!」と指導されるでしょう。
そのとき「君が代で厳かってどういう気持ちですか?わたしは憤怒と哀悼、同じ過ちを決して繰り返してはならない。この過ちを子供達に繰り返しさせてはならないという気持ちしか沸き起こりません!」と非常にめんどうくさいことになるのは間違いありません。
おそらく「君はだまって起立していればいいよ」と言うことになるのではあるまいか。
彼らも、だから歌いたくないのであって、場違いなことをしてむやみに波風立てたくないという穏健派の意を汲んであげたほうがよいように妄想します。
NHKの、ダイエットで若返り!をみる
カロリー25%オフで、アンチエイジンングDNAがスイッチオン!
100歳まで元気に過ごすのも夢ではないそうで。
革新的な若返り術が、耳たこの腹八分だったとは〜。
しかし!番組でも注意喚起していましたが、このダイエットは危険かも。
わたしも一時期食が細くなりやせたことがありましたが、そのときは体にあざが出来やすくなりました。食器棚のつまみで指先に内出血。からだはあざだらけ。
へんな食事をすると急に疲れたり。
・・・そのかわり自然に今自分に何が必要なのか切実に分かるようになります。食べたいものがはっきりわかる、という感じ。これはいいことなのかな。少なくとも食べたいものを食べているという充実感はありますね。
肉は1日20グラムくらい摂れば大満足、月に1度おいしいトンカツが食べたくなったかな。
量は少なめ、ややベジタリアンな食生活でしたが、それでも野菜が不足してしまうのでしょうね。野菜をさらに食べればいいのかも、ですが、胃が小さくなってそんなに食べられないんですよ。
ですから栄養士の指導があれば大丈夫という説明もにわかに信じがたい。
まあたっぷり食べてもいろいろ体に異変が起きますけど。
腹八分ダイエット、老人ならバランスとカロリーにだけ注目すれば十分でしょうが、中年のひとは体にあざが増えたら要注意です。
2011年6月13日月曜日
CD温故知新 STAY BUT EAT
2011年6月12日日曜日
上野千鶴子がんばれ〜
NHK爆笑大学で上野千鶴子先生を見た。20年前東大でけんかを教えていた先生である。
姿をみたのは初めてで、けっこう美人なんだなあと思った。若い頃はさぞかしモテたに違いない。
男性も男社会のルールから自由になって女性と向き合うようになればもっと楽に生きられるよ、という話だったと思うが、そういう風に言ってくれれば同感。
しかし、男は単純バカというニュアンスで語るのでまず反感来てしまう。
女だって男の価値観で男を切るじゃないか!と。
しかし男が変われば、女もまた変わるんだろうな。そういうふうにまた少し世の中がよくなればいいんだなと、結婚できない男はつらつら思ったのでした。
番組での上野先生はにこやかで、女装は拘束具?にも見えました。
カローラ ○と×
プログレのお化粧直しが終わりましてカローラとはお別れになりました。
2週間カローラに乗って感じたことを。
1.燃費がよい。
特にエコドライブを心がけたわけでもなく、むしろ空ぶかしが多かったにも関わらず、13km/l以上を達成。これがマニュアルミッションの威力なのか!?
2. エンジンブレーキで安心感が高い。
下りの坂道、カーブでもエンジンブレーキが効いて運転にメリハリがでる。すごく運転しやすい。同じスピードではプログレのほうが恐怖を感じる。これがマニュアルミッションの威力・・・!?
3. 運転中眠くなりにくい。
プログレに乗り換えて感じたのは、左足が手持ちぶたさ。しばらくブレーキを踏む右足に連動して、左足もぴくぴく動きます。
しかしすぐ慣れて、夕刻には睡魔に襲われました。オートマだから眠くなるというわけではないでしょうが、カローラはこのギアでいいのかな?と悩みながら運転していたので、多少の眠気防止効果はあったように思う。これがマニュア・・・!?
4.十分安ければカローラでいい。
プログレを選んだのは音が静かだから。しかしもしプログレがマニュアル車だったらエンジンの感じが分からず運転できないかもしれない。カローラは対比騒音大だが、マニュアル運転のためには必要な仕様と感じる。マイナスがプラスに転じて魅力に。ただ静かなマニュアル車に乗ってみたいかも〜。
2011年6月5日日曜日
2011年6月3日金曜日
カローラ 1週間
カローラに乗って5日目。
タンクに半分のガソリンが無くなって給油。200Kmほど走った。
借りるとき、タンクが小さいから60Lくらい、と言われたが、実際に満タン給油すると30Lしか入らない!夜中の燃料切れに要注意ですね。
燃費は 13 km/l 。
この時点でエンジンオイル交換プログレの12km/lに勝っている。
2速3速でエンジンを唸らせながら走っていることを思うと十分優秀だ。
マニュアル車は左足でエンジンの様子を見る感触が楽しいんだろうなと思う。
シフトアップに精一杯で、いつのまにか80km/h近くでていることが多いのだが、
私は、メーターが1割増しではないか?と疑っている。
まだ後続のクルマが怖いが、今のうちにマニュアル車を堪能したい。
2011年6月1日水曜日
女性の言うことは概ね正しいという人について
放送大学をつけていると時々おもしろい話が聞ける。
むかしむかし、アメリカでは女性は家の光と呼ばれていたそうだ。
女性は家庭における道徳的リーダーであり、子や夫を善導する役割を担っていた。
これには当時女性には参政権がなく、男性に対し政治的利害関係がない、それゆえ道徳的判断が政治的な思惑に左右されないという事情が背景にあった。
また、セックスは妻に対する夫の独占的な権利とみなされ、女性を一人の人格として認めるに至っていなかった。
こんなわけで、女性は道徳的には超然し、性的には隷属するという状況にあった。
さて10年程前、会社で社員の評価をするとき、女性の評判に耳を傾けるという流儀を披露するコラムを読んだ。
女性は社員をよく見ていて、その評価はほぼ間違いないのだそうだ。
なぜ女性の評価は正しいのか?
放送大学で得た知見を応用すると、女性は出世に縁がなく、社内政治の力学を超越しているため、と言えそうだ。
最近では女性の登用が進み事情が変わっているのか、どうだろうか。
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