チエーホフのかもめは日本で上演されない年はない、必ずどこかで演じられる馴染みのある演目である。それだけに演出家にとっては名刺代わりのようなものであり、観客もお手並み拝見の期待を持って臨むものだ。
熊林版かもめは私が見たものの中でもっとも笑える、そしてエロティックなかもめだった。それはとても素晴らしく嬉しいことなのだが、前半の喜劇、後半のシリアスの対比を強調するためか全編通じての笑い、それはチェーホフの人生に対する皮肉が込められていると私は思うのだが、その骨格を分かりづらくしたのは少々残念だった。
コンスタンチンを終始よい子としたこと、見せ場のニーナのソロをメソッドアクター風のシリアス演出に留め、正気と狂気の行き交い、危うさ切なさという観客のカタルシスをたぶんあえて封じることで、かもめに内在する多数のドラマのいくつかを整理してみせた、その良し悪しは軽々には判断できない。
感じること、感じなかったこともいろいろあるが、満島ニーナは若草のような輝きとシングルマザーの灰色の人生の対比を鮮明にして、中島マーシャの喪服の似合う酔っぱらいぶりはなかなかの芸達者で安心してみられたし、他の役者さんも見事だったと思う。
いつかまたかもめを扱うときがあるなら、また違う解釈をみせてくれたらと期待する。
2016年10月26日水曜日
しぶししの囚われうなぎU子さんを頂きました。
2016年10月24日月曜日
1887年のゴッホの自画像
先日ゴッホとゴーギャン展に行きました。展示作品はあまり多くなく、疲れなくていい感じ。(物足りないとも言う。)
少ないなかでも1886年と1887年のゴッホの自画像を並べた展示が印象深い。
1887年はゴッホがゴーギャンと出会った年で、自画像からもゴッホの作風が一変し、私たちの知るゴッホが誕生した瞬間であると実感した。
ミレーに代表されるブランドル派の末席を汚したにすぎない二流の画家がある日ゴッホへと生まれ変わった訳を、ゴーギャンの影響に求めてよいのかは分からない。
お互いの絵はかなり違うので絵画論のようなものを交わしていたとしたらどんなやり取りだったのか、滑稽な場面を空想してしまう。
というわけで、今回ほど制作年に注目して鑑賞した美術展はなかった。といってもゴッホはその後数年でピストル自殺してしまうので制作期間は驚く程短い。チェーホフの「かもめ」を連想した。
1986年の自画像 |
1887年はゴッホがゴーギャンと出会った年で、自画像からもゴッホの作風が一変し、私たちの知るゴッホが誕生した瞬間であると実感した。
ミレーに代表されるブランドル派の末席を汚したにすぎない二流の画家がある日ゴッホへと生まれ変わった訳を、ゴーギャンの影響に求めてよいのかは分からない。
お互いの絵はかなり違うので絵画論のようなものを交わしていたとしたらどんなやり取りだったのか、滑稽な場面を空想してしまう。
というわけで、今回ほど制作年に注目して鑑賞した美術展はなかった。といってもゴッホはその後数年でピストル自殺してしまうので制作期間は驚く程短い。チェーホフの「かもめ」を連想した。
2016年10月18日火曜日
2016年10月17日月曜日
イプセンのゴースト・コンポジションを見て来て
イプセンは読んだことが無く、テレビで人形の家のあらすじ紹介とエスターカーンと言う映画の劇中劇でヘッダガブラのラストシーンを見たことがあるだけ。
というわけで興味深く見てきました。
ストーリーは、出戻りニートが幽霊を見て発狂する、と言う感じ。その幽霊は観客には見えず、ネジのひねりを連想させる作りです。
ざっくりメモると
1.出戻りニートは母親に教え込まれた早世した理想の父像と自分自身とのギャップに悩んでいる。優生学にハマった医者からはお前の父親はかなりのろくでなしのはずと指摘され、猛烈に反論したことがある。
2.立派なはずの父親は実務的には無能で、家業の経営は奥さんが仕切っていた。ある日その旦那と幼い頃から家族のように養ってきた若い使用人との浮気の現場を目撃し奥さんは家出をしたことがある。
3.ショックのあまり奥さんは神父の家に駆け込み別れたいと相談するが、説得されて帰宅。現在に至る。このとき出戻りニートを身籠っている印象だがお互いに認めない。
4.出戻りニートは幼なじみの若い使用人と結婚するつもりだったが、若い使用人は新天地を求めて家を出る。おしまい。
というわけで個人のアイデンティティの崩壊をスリリングに描く傑作だったかもしれない。愛知県芸術劇場にて。
なおあまりこういう芝居を見慣れていないお客さんからは、なんで倒れている人がしゃべるんだ?などと全体的に疑問が多かったようです。(残念ながら私にはその倒れている場面の記憶がない。)
初めて見たイプセンでしたが、サスペンス仕立てで深いテーマを提示できる可能性を感じました。
というわけで興味深く見てきました。
ストーリーは、出戻りニートが幽霊を見て発狂する、と言う感じ。その幽霊は観客には見えず、ネジのひねりを連想させる作りです。
ざっくりメモると
1.出戻りニートは母親に教え込まれた早世した理想の父像と自分自身とのギャップに悩んでいる。優生学にハマった医者からはお前の父親はかなりのろくでなしのはずと指摘され、猛烈に反論したことがある。
2.立派なはずの父親は実務的には無能で、家業の経営は奥さんが仕切っていた。ある日その旦那と幼い頃から家族のように養ってきた若い使用人との浮気の現場を目撃し奥さんは家出をしたことがある。
3.ショックのあまり奥さんは神父の家に駆け込み別れたいと相談するが、説得されて帰宅。現在に至る。このとき出戻りニートを身籠っている印象だがお互いに認めない。
4.出戻りニートは幼なじみの若い使用人と結婚するつもりだったが、若い使用人は新天地を求めて家を出る。おしまい。
というわけで個人のアイデンティティの崩壊をスリリングに描く傑作だったかもしれない。愛知県芸術劇場にて。
なおあまりこういう芝居を見慣れていないお客さんからは、なんで倒れている人がしゃべるんだ?などと全体的に疑問が多かったようです。(残念ながら私にはその倒れている場面の記憶がない。)
初めて見たイプセンでしたが、サスペンス仕立てで深いテーマを提示できる可能性を感じました。
2016年10月11日火曜日
山梨のミレー美術館に行ってきました。
山梨県立美術館は大変気に入りました。
ミレーは案外控えめなコレクションで、初期のゴッホを思わせる作風と感じました。つまりあまり好きではないのですが、農村を主題に伝統的な宗教画を思わせる手法を適用したところにメッセージ性があるように思いました。
黒く塗りこめられた種をまく人の図に強烈なアジテーションを読み取り非難したという事件が紹介されていたのも興味深い。
印象派が野外を明るく光に満ちた世界として捉えたのに対し、物質の塊として、光りよりもそのコントラストの影を主題にしたのも古いと言えば古いのですが、個性だと思いました。
ミレーは案外控えめなコレクションで、初期のゴッホを思わせる作風と感じました。つまりあまり好きではないのですが、農村を主題に伝統的な宗教画を思わせる手法を適用したところにメッセージ性があるように思いました。
黒く塗りこめられた種をまく人の図に強烈なアジテーションを読み取り非難したという事件が紹介されていたのも興味深い。
印象派が野外を明るく光に満ちた世界として捉えたのに対し、物質の塊として、光りよりもそのコントラストの影を主題にしたのも古いと言えば古いのですが、個性だと思いました。
2016年9月29日木曜日
鍵のかかった部屋に行ってきました
KAATの展示で鍵のかかった部屋に行ってきました。
余り気にしていなかったのですが、扉を開けるとそこは鍵のかかった部屋、という趣向。
要するに駄洒落です。
皆さん楽しそうに鑑賞し思い思いに写真に撮っていました。
赤い糸がドーム状に張り巡らされてワイヤーフレムモデルのコンピュータグラフィックのようでもあり、それを現実世界になぞったところに実在との干渉、摩擦が生じる、人工的な現実性とその破綻をテーマにしているように思いました。
余り気にしていなかったのですが、扉を開けるとそこは鍵のかかった部屋、という趣向。
要するに駄洒落です。
皆さん楽しそうに鑑賞し思い思いに写真に撮っていました。
赤い糸がドーム状に張り巡らされてワイヤーフレムモデルのコンピュータグラフィックのようでもあり、それを現実世界になぞったところに実在との干渉、摩擦が生じる、人工的な現実性とその破綻をテーマにしているように思いました。
2016年9月21日水曜日
愛知トリエンナーレ2016 オペラ魔笛に行ってきました
勅使河原三郎演出とのことで楽しみにして来ました。
昔に比べて人に優しい振り付けで、素人むけのワークショップなど始めたあたりからより内面的な気付きを重視する身体表現を志向してきているのかなと空想します。
残念なのは会場が大ホールで広すぎ。前の方の席でぎりぎり、それでも大勢の観客が吸音材に作用して本来のコンディションではない。後ろのひとは聞こえたのだろうか。
オケもコンサートピットの中なので聞こえづらいし、まあオペラは仕方ないか。
魔笛のストーリが初めてちゃんと分かり、有名は歌の意味も分かってそれは満足、楽しいひとときでした。
2016年9月7日水曜日
名古屋能楽堂にいってきました
滋賀県草津にある義仲寺の巴塚 |
名古屋能楽堂9月定例公演のテーマは愛と恋愛。
第一部 巴(宝生流)、引っ括り(狂言 和泉流)、かきつばた恋の舞(観世流)
第二部は班女(金剛流)、吹き取り(狂言 和泉流)、船橋(喜多流)
GWに義仲寺に行って来た私としては、木曾義仲のパートナー、巴に注目し楽しみにしていました。
巴は謡→語り→舞という構成で同じ話を何度も繰り返す。謡の内容を語りでもう一度、舞でもう一回という仕様。他の作品もおおむね同じ作りでした。
目の前で事件が起こりそれに対してどうこうという作りではなく、主人公の問わず語りを謡、第三者の語り、舞と反復するなかで、過去を乗り越え、怒りを忘れ、魂を浄化して、心の中だけでハッピーエンド、というような仕掛けになっています。
蛇足ですが、謡のテキストが豆本800円、教科書サイズ2000円と高額で今回かなり散財しました。ランチも周囲にお店が少なく、今回は入場料を払って名古屋城できしめんを頂きました。
2016年8月28日日曜日
まさかり半島をプリズマしてみる
2016年8月26日金曜日
2016年8月24日水曜日
プリズマにはまりました。
2016年5月29日日曜日
地点のスポーツ劇 京都ロームシアター
Teaser for Chiten “Sports Play” (Kyoto Experiment 2016 Spring) from Kyoto Experiment on Vimeo.
同じ日ロームシアターで公演されたもの。地点というのが劇団名で作品名がスポーツ劇。客層は幅広くて文化人テイストのあるひとから学生カップル、おばちゃんまで。そこそこ広い箱をしっかり埋めていた。
このトレーラーではだいぶおしゃれだが当日の演出はよりスポーツ感を前面に出したもの。
舞台の前面にバレーボールのネットのようなものが張ってあり、その後ろで反復横跳びを延々と続ける。スポーツ劇だから。テキストはどこまで忠実なのか分からないがやや陳腐で賞味期限切れの感もあった。パンフには古代ギリシャの英雄が登場してうんぬんとあったが、特にそういう話では無かったと思う。
音楽が秀逸で、プラスチックのバット?で頭をぽこぽこ殴るリズム音が延々と続く。音楽が主役と言ってもいいくらい。
2016年5月26日木曜日
京都ロームシアターの京都国際舞台芸術祭に行って来たこと(3月)
よだれを垂らす、つばを飛ばす、尻のにおいを嗅ぐ、噛み付く、という原初的?身体コミュニケーションを扱いつつ、あくまでダンスのスタイルを維持したところが工夫だろうと思います。昨年見たジェルミナルはダンスであることを放棄していましたが、ダンスとしてどちらがよりヤバいのかは議論の余地あり。
2016年3月27日日曜日
モネとピカソを続けて鑑賞して
3月は京都でモネ展、名古屋でピカソ展を見ました。
映画で例えると、モネはハリウッドスタジオシステムの大パノラマ、ピカソはカメラ=万年筆のヌーベルバーグ。
絵は野外の光景をまるごとキャンパスに閉じ込めようとでもするかのようなモネの絵の大きさ、圧倒的なイリュージョンに感動しました。
それに対してピカソの絵は基本的に身辺雑記の私小説。対象は様々でもすべて自画像みたいなものです。若いときの作品には世界の中心にいる私とは何か?という問いを延々と反復しているような雰囲気もあります。ピカソの作品はだいぶ見ているのですが、今回の展示『天才の秘密』では学生時代の作品を多くみることができ、そこでのゴッホの研究などがとくに興味深かく楽しめました。
ひとつ気になること。
とくにモネ展で、絵の鑑賞に必要なスペースを十分確保していない。狭い所に並べ過ぎ。
壁の両側に並べると部屋の真ん中あたりで鑑賞することになり、距離が足りない。
日本の橋の絵について、「抽象画のような」という解説をつけているあたりキューレタがまともに絵を見ていないのでは?と感じました。
映画で例えると、モネはハリウッドスタジオシステムの大パノラマ、ピカソはカメラ=万年筆のヌーベルバーグ。
絵は野外の光景をまるごとキャンパスに閉じ込めようとでもするかのようなモネの絵の大きさ、圧倒的なイリュージョンに感動しました。
それに対してピカソの絵は基本的に身辺雑記の私小説。対象は様々でもすべて自画像みたいなものです。若いときの作品には世界の中心にいる私とは何か?という問いを延々と反復しているような雰囲気もあります。ピカソの作品はだいぶ見ているのですが、今回の展示『天才の秘密』では学生時代の作品を多くみることができ、そこでのゴッホの研究などがとくに興味深かく楽しめました。
ひとつ気になること。
とくにモネ展で、絵の鑑賞に必要なスペースを十分確保していない。狭い所に並べ過ぎ。
壁の両側に並べると部屋の真ん中あたりで鑑賞することになり、距離が足りない。
日本の橋の絵について、「抽象画のような」という解説をつけているあたりキューレタがまともに絵を見ていないのでは?と感じました。
『日本の橋』 十分離れてご鑑賞ください |
4706の修理は棚上げ
2台ある4706がそれぞれ調子悪いのですが、それぞれの取りあえず大丈夫なほうのチャンネルを使うことにした。
左右チャンネルの音が違うのは実際には余り気にならないようだ。
ただしばらく片チャンネルで聞いていたので、ステレオイメージに違和感がある。片側モノラルなら音像ににじみもなく、前後の奥行き感もあるのに。
ステレオなら少しはリアルに近づくかというとそうでもない部分も多いような現状。
コンサートホールで体験したことは自分の家には持ち込まないに限る、のかな。
左右チャンネルの音が違うのは実際には余り気にならないようだ。
ただしばらく片チャンネルで聞いていたので、ステレオイメージに違和感がある。片側モノラルなら音像ににじみもなく、前後の奥行き感もあるのに。
ステレオなら少しはリアルに近づくかというとそうでもない部分も多いような現状。
コンサートホールで体験したことは自分の家には持ち込まないに限る、のかな。
2016年3月25日金曜日
愛知県芸術センターコンサートホールにいってきました
名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聞いてきました。
このホール、正面にパイプオルガン、ステージを囲む客席とサントリーホールによく似た作り。であれば音は悪かろうと思いきや、満席でなかったためか響きもよくとても楽しめました。
このあとしばらく自宅のオーディオがたいへんしょぼく聞こえてがっかり。低音の解像度が悪すぎ。かなり悩む。
このホール、正面にパイプオルガン、ステージを囲む客席とサントリーホールによく似た作り。であれば音は悪かろうと思いきや、満席でなかったためか響きもよくとても楽しめました。
このあとしばらく自宅のオーディオがたいへんしょぼく聞こえてがっかり。低音の解像度が悪すぎ。かなり悩む。
2016年2月28日日曜日
4706はかなり優秀
代替の4706。右チャンネルのみ使っていますが、やたら楽しい。方チャンなのにステレオ感がある。
このアンプ、99年製と思い込んでいましたが、97年製でした。これを使ってみて、オペアンプの型が違う旧仕様のとは全くの別物になっているとわかりましたが、この告知無しの変更がいつからだったのか、気になる。
まあオペアンプ交換は2〜3万円でやってもらえるようなので、かなり古いものを入手した場合はメーカーに相談すればよいでしょう。
メインスピーカの音がだいぶ良くなったので、サブウーファーを使った2.1chの限界が気になってしまうようになりました。
このアンプ、99年製と思い込んでいましたが、97年製でした。これを使ってみて、オペアンプの型が違う旧仕様のとは全くの別物になっているとわかりましたが、この告知無しの変更がいつからだったのか、気になる。
まあオペアンプ交換は2〜3万円でやってもらえるようなので、かなり古いものを入手した場合はメーカーに相談すればよいでしょう。
メインスピーカの音がだいぶ良くなったので、サブウーファーを使った2.1chの限界が気になってしまうようになりました。
2016年2月22日月曜日
4706アンプが絶不調
以前から気になってはいたが、10年ほど使用している47研のアンプ4706、右チャンネルから恒常的にビート音が出るようになり、今日予備機と交換した。
予備機は左右独立電源仕様にするためだけにオークションで一式落札した余り。
99年型で、スタメンの95年型より細密で音場を後方に展開する傾向。というわけで、今後この少しハイエンド風味の47サウンドを楽しむ・・・はずだったが、久しぶりに接続したところ左チャンネルから盛大にノイズがでて右チャンネルも時々音が途切れる。とほほ。
しばらく様子を見ますが、さてどっちのアンプを直そうかな。
予備機は左右独立電源仕様にするためだけにオークションで一式落札した余り。
99年型で、スタメンの95年型より細密で音場を後方に展開する傾向。というわけで、今後この少しハイエンド風味の47サウンドを楽しむ・・・はずだったが、久しぶりに接続したところ左チャンネルから盛大にノイズがでて右チャンネルも時々音が途切れる。とほほ。
しばらく様子を見ますが、さてどっちのアンプを直そうかな。
2016年2月21日日曜日
ふるさと納税の頂き物
登録:
投稿 (Atom)