モリエールはかなりたくさんの戯曲を書いたが翻訳されているのはその一部で、実際上演されるのはその更に一部。その代表が「スカパンの悪だくみ」ということになる。戯曲を読んだ印象ではほとんど「8時だよ!」のドリフのコントのようで文学的な価値はあまり感じない、というひとがほとんどではなかろうか?全集のあとがきにもそんなふうなことが書いてあったような気がする。
退屈すぎて全作品を翻訳する気には到底慣れないそうだ。
こういう軽口はよくあって、例えばドン・キホーテの全訳も20年くらい前に出る以前は作品そのものが荒唐無稽でつまらないから抄訳で十分みたいな言われ方をしたものだ。
もちろんドン・キホーテが近代小説に大きな影響を与えた作品であり読めば面白いように、モリエールも注意深く読み解けばその面白さ、現代性を見いだせるだろうことは想像に難くない、かも知れないことを暗示してみせてくれたのが今回の公演だった。
スカパンにはたしか2つのバージョンがあって、最後親子が和解してめでたしめでたしで終わる版と、そのあとスカパンが主人に懲らしめられて終わるのとがある。実際当時どちらが上演されたのかは分からないが、今回の演出はスカパンは懲らしめられ、めでたしめでたしで死ぬ、といういいとこ取り、祝祭的でありながら少々物悲しい結末だった。この辺り平板になりがちなモリエールのドタバタを人生の侘び寂びを漂わせつつも力強いユーモアへの意志に変奏してみせた串田和美の力量を感じる。このおじいさんダンスも上手で足腰軽い、笑顔を怖い 顔もすてきなナイスガイでした。お元気で。
0 件のコメント:
コメントを投稿