2013年6月29日土曜日

従軍慰安婦問題から感じるきれいな戦争という幻想

橋下氏の沖縄駐留米兵は風俗に行け発言は、デリカシーに欠ける非常識発言だったと思う。普通に米兵の犯罪は軍紀以前の問題で、これを事実上放置している現状は侵略状態に等しい、沖縄の女性は米軍の慰安婦ではない、とでも言ってやればよかった。
ニューズウィークなどこの問題に反応した記事を読むと、結局米国は風俗業そのものを忌避していることが分かる。慰安婦についてこれを強制ではなくビジネスだったと主張する日本とのズレがここにある。レイプは違法で風俗は合法という主張は、彼らの女性の尊厳を守るという観点からは詭弁に過ぎない。セックススレイブだったのかビジネスガールに過ぎなかったのかという論争はそもそも成り立たないのだ。
大変立派なご意見であり、是非その高等な道徳で米兵を律して頂きたいものだが、この道徳観で1931年〜1945年の日本を凶弾するのは公正さに欠けると思う。
当時は男尊女卑、軍国主義で世間の常識そのものが今とは違う。そしてなにより全体に貧しかった。世界的に評判のドラマ「おしん」も児童労働と人身売買のお話だ。
米国だって当時はバリバリの人種差別国家で、日本との戦争では民間人も無差別攻撃する非人道国家だった。ひめゆりの塔、東京大空襲、広島長崎原爆投下。これらの事件を戦後教育では戦争の悲惨さと教えられるが、要するに米国の非人道的殺戮行為に過ぎない。日本兵が風俗に行っていたことを弾劾する米国が、一方でこの非人道的戦争犯罪を看過できるのは何故なのか。
これは欲望のための暴力は犯罪で、正義のための暴力が戦争だと米国が考えているからだ。米国にとって戦争は公共の福祉の実現を目的としており、その限りでどんな虐殺も正当化される。反対に軍隊のハラスメントはそれが個人の欲望に根ざしているならば決して看過できないわけだ。(全然まとまらないが、まとめる気力もなくなったのでこのままで終わります。)

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