2013年6月23日日曜日

文学座 ガリレイの生涯

池袋 あうるすぽっとにて。
サンシャインのそば、東京メトロ東池袋駅もより。
上演2時間50分。休憩は1回のみ15分でした。

ブレヒトは先日みたジャン=ストローブの映画つながりで関心を持ち、この度上演を見る機会を得ました。
ブレヒトは広島への原爆投下を知って脚本を書き直したそうで、実際にこのセリフだな、とあからさまに分かります。私には少々陳腐に思えますが、原発問題などアクチュアルな課題を示唆しているとも言えるので、そこは好きずきでしょうね。

ガリレイが異端審問にかけられているとき、弟子たちがガリレイがキリストよろしく真理の犠牲となることを期待する場面が良かった。抑圧された民衆のねじ曲がった願望をストレートに描いて揶揄しています。貴族や地主階級が悪で貧しい労働者が善というような書き割りではない、冷静な視点がいいですね。
この作品から党派的に都合の良い教訓を引き出そうとするのは間違いだし、そんな簡単なお話ではないのです。

ドラマは1609年の望遠鏡による天体観測開始から、1638年の新科学対話の出版前夜までを描いています。日本ではようやく戦国時代が終わったころ。400年経って、今では真実は誰の前にも開かれているはずなのに、却ってそこから遠ざかって個人の空想イメージや政治的な都合で社会のストーリーが決められている。異端審問所はローマから拡散し一人一人の心の中にあって、人々は他人を陥れようと道徳的に他者を責めるプレイの悦楽に浸っています。

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