生前祖母は、よく死ぬときはポックリいきたいと言っていた。
何年も入院してそのまま死ぬなんて心底嫌だったのではないか。
実際足腰は丈夫で、80歳をすぎても2キロくらいの散歩を日課にしていたように憶えている。老人ホームでも20歳くらい年下の人との付き合いが多くて同年代の年寄りと同じに扱われるのは却って疲れると言っていた。(記憶で書いております。)
そんな祖母だが心臓の病気で入院したときには、なんでこんなことになったのか、まだ死にたくないと言っていた。私も100まで生きるだろうと高をくくっていたので、92では早すぎる、心臓移植はできないのかと一瞬思った。
死は瞬間に訪れるようにイメージしがちだが、実際にはマラソンのようなもので、人生は自分の死をどのように受け入れるのかという問題を自分なりに消化することそのものとも言える。
足るを知り、感謝に満ち快活に生きた祖母も病に伏せてはもっと生きたいと願う。それが人間らしい姿だとも思う。
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