2013年5月26日日曜日

田中秀臣の経済思想史塾を見ました。

「これが本当の比較優位だ!」の回での疑問。司会者が比較優位は理論的な仮構で現実に適用できるとはリカード本人も考えていない、と何度も言っていたがこれはどういう意味なのか?

理論上完全な分業が効率的であっても現実に実行するのは難しい。
そもそもリカードは国単位で比較優位を構想していたのだろうか。自由貿易上の完全分業という事態を比較優位論から導き出すこと事態に疑問をもつ。

リカードの最大多数の最大幸福という功利論の背景には個人の幸せを守ろうとする気持ちがあると田中先生は強調している。もし個人という単位を守られないなら最大幸福という考えそのものが破綻してしまうからだ。例えば、先生が家でTVを見るのを我慢して学校で講義をするとき、学生が替わりにTVを見てあげても意味がない。
だれも他人に替わって快や不快を享受することはできない。この前提がないと最大多数の最大幸福という理論は意味を持たない。

同様に比較優位も基本は一個人にあり、個人の選択の総和として国全体の経済の姿があると考えるのが自然だと思う。そうであれば一足飛びの完全分業など考える想定する必要はないように思う。

これが本当の比較優位だ!1   

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