先日、アテネフランセで「基礎訓練」と「エッセネ」を見てきました。
基礎訓練は、フルメタルジャケットみたいな題材。
以下、ライフルを与えられた青年がこれで本当にひとを殺すのかと動揺する場面。
青年「このガンは実際にひとを殺したことは?」
教官「ガン?この兵器をなんと呼んでもいいがガンとだけは呼ぶな!ガンとは・・・(何やら別の武器のことを指すらしいです)」
「この話題をこれからもすることを許す。しかし戦場で三方の囲まれたとき、お前達の脳裏に浮かぶのは、だれにひとを殺す権利があるのか、ということじゃない。防衛本能だけだ!」「敵とはお前達を殺そうとする奴だ。敵を見くびれば死ぬのはお前達だ!」
「俺がこんなことを言うのは、2年後お前達が兵役を終えて無事にベトナムから帰って来れることを願っているからだ。」
この映画、愛と青春の旅立ちの鬼軍曹みたいにお前らウジ虫だ!などと言うひとは出てきません。
この辺り道徳的に相手を責める感じで思い返すとゾクゾクしますな。
このあと、不従順で暴力事件を起した青年を指導する場面は職場か学校か、という趣きです。
青年「私は誰にも迷惑をかけない主義です。実際そのようにして来ています。だから逆に私のじゃまをする奴は絶対に許しません。」
教官「個人としてどう考えるかはお前の自由だと思う。だけどここは軍隊だ。まずアメリカ陸軍の兵士として考え行動する必要があるんじゃないかな。」「気に入らないからといってひとを殴る権利など誰にもないんだ。これは軍法会議ものだぞ。」「こんなことで君を懲罰房に入れるなんて、私もしたくないんだ。本当に無駄なことだ。君だってバレーボールをしたり読書したり、手紙を書いたり。そういうふうに過ごしたほうがいいだろう?」
実際にやっていることは、普通の若者を殺人マシーンに作り換えることではあるのですが、規律を身体化させるという点では教育そのものです。実際歯磨きの仕方を教えるなど、良い習慣を身につけさせることに大変な労力をかけています。
道徳的正しさとその目的の絶対悪が矛盾無く調和している事実を端整に表しているところがこの映画の美しいところだと思いました。
ワイズマンの映画は一見してワイズマンと分かるくらい特徴的ですが、奇をてらった作家性とは無縁です。みんながワイズマンのパクリでたとえば「運動会」とか「クリスマス会」など撮れるようになったらかなりシュールですね。
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