以前、NHKの白熱教室JAPANで、日本と英米との大きな価値観の違いとして、英米ではフェアネスを重んじる、と紹介していた。
フェアネスとは、何だろう。それはルールの適用の可逆性だと言える。
ジャイアンは人のものはおれのもの、おれのものはおれのものと主張する。これがアンフェアだ。
少年マガジンで連載されている、ギャンブラー漫画 零に、このフェアネスを問う場面があった。
相手のひっかけルールに抗議しようとする同僚を制して、「オレも似たようなものです」と黙って受け入れる。前回の勝負で相手をだまし討ちにして勝利したことを踏まえてのことだ。
生き馬の目を抜くギャンブラーの世界の背景には厳しいフェアネスの倫理があったのだ。英米人とのやりとりはすべてギャンブルと心得たい。
ちなみにこの勝負に零が負けると、歯を全部抜かれてしまう約束になっている。
カントは嘘をついてはならないという道徳律について、たとえそのせいで無実の人が強盗に殺されることになってもわたしは嘘をつかないと主張した。
それはまさか自分がひとを殺そうとするときに嘘で相手を匿われたりしないため・・・ではないはずだが、定言命法への苛烈な意志はギャンブラーに通じるものがある。
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