加賀、小松、能美と3拠点で開催されました九谷焼展で、ある程度まとまった量の九谷焼を駆け足でしたが見ることができました。小松の市立博物館では、市内の他の展示館(錦窯展示館、松雲堂)も紹介頂きましたが日程の都合で伺えず残念。これは次回訪問の口実にしたい。3会場ともガラガラ空いていて、じっくり鑑賞できたのはよかった。
九谷焼は明治時代には主力の輸出品でジャパン九谷と呼ばれ一時期は海外で人気だったそうです。しかしヨーロッパ市場がアート志向に好みが代わり、徐々に飽きられ関東大震災で業者が壊滅して終わった、ということらしい。関東大震災は1923年。後期印象派たちの絵付け作品が1900〜1920頃まで、と重ね合わせるとなんとなく流行の変化が分かるような気がする。もっとも後期印象派作品が売れていたのかどうか分かりませんが。
後期印象派作品と対比すると、私の好みとしては赤九谷、細字への転向は芸術的にはマイナスだったと思う。技術的にはすごいと思うが、とにかく古くさい。ただ、安易にワビサビに逃げなかったのは立派で昔の中国の陶器を目指していたのかな、と考えるとそこは逆に評価するべき点となる。
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後期印象派の一例 |
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赤九谷の一例、時期的にこのチョイスが適切だったか疑問ですが。 |
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あおやげんえもん作品。これが焼物ってどういうこと?と思った。ほかにもすごいのある。 |
印象に残ったのは、粟生屋源右衛門。これで「あおやげんえもん」と読みらしい。この人の作品のいくつかは日本の陶芸界でも異色だと思う。
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